愛を秘めた外交官とのお見合い婚は甘くて熱くて焦れったい
 その後も客足は増減しつつ、紅葉亭は徐々に以前の様子を取り戻していた。
 見知った人たちは父の容態を心配しつつ、「まさか先代の料理をまた食べられるとは思わなかった」と、口々に喜んでくれる。

 見舞いついでに店の様子を伝えれば、父は安堵した表情を見せていた。

 もちろん状況は千隼さんにも報告している。

『正樹さんの回復も、順調そうでよかった』

 時差が大きいため、なかなかリアルタイムでのやりとりは頻繁にとはいかないが、久しぶりに千隼さんが電話をかけてくれた。

「ありがとう。まあ、退院してからが大変なんだろうけど」

 おそらく、父は来月あたりに退院となるだろう。
 家に戻れたとしても、松葉杖を使っての生活になる。外出となれば車いすも必要だろう。
 リハビリにも長く通う必要があり、今以上に多忙になりそうだ。

「えっと、なかなかそっちに戻れそうになくて……」

 申し訳なさに、瞼を伏せた。

『家族の一大事なんだから、気にするな。それより、父さんがちょくちょく紅葉亭に行ってるようだね。迷惑をかけてないか?』

 私が落ち込んでいるのを察したのか、千隼さんが口調を明るくする。

「迷惑だなんて、ぜんぜんないわ。たまに同僚の方を連れてきてくれるから、店としても助かっているの」

 仕事ひと筋だった義父の唯一の楽しみがお酒だと、前に本人が話していた。
 父が紅葉亭を継いでからというもの、その言葉通り義父は店に頻繁に来てくれる。

 楽しそうにお酒を飲む義父の笑顔がよぎり、ふと以前耳にした言葉を思い出した。

『文科省で働いている人間が、仕事にかまけて実の子どもを蔑ろにしていてはいけないと、ようやく気づいてね』

 父と飲んでいた義父は、すっかり酔いが回ってそんなふうに吐露していた。

 義母とは、政略結婚で結ばれている。ふたり共なにかと忙しくて、聞く限り夫婦の関係はずいぶん淡白のようだ。

 けれど、決して不仲でもないという。
 世間に迷惑をかけないという大雑把な共通のルールだけを決めて、お互いに自分を優先する。その結果、幼い頃の千隼さんは長年雇っていたシッターによって育てられたようなものだったらしい。
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