愛を秘めた外交官とのお見合い婚は甘くて熱くて焦れったい
 なんとか気持ちの折り合いをつけた頃に、千隼さんの方から紅葉亭の仕事も続けたらどうかと提案をされた。
 つい本当にいいのか聞き返した私に、彼は曇りのない笑みを見せた。

『あたりまえだ。日本にいるときくらい、思う存分に親孝行してくるといい』

 その言葉に、心が軽くなる。

『数年後には、また海外に行くことになるだろう。そうなれば、会うこともままならない。せめて近くにいるときくらいは、小春のやりたいように過ごしてほしいんだ』

 父とも話し合いをして、彼の理解が得られているのならと私の続投が決まった。
 ただし、私の希望でフルタイムの勤務ではなくしてもらった。代わりに父は、今後を見据えて新たに人を雇うと決めている。

 昼を過ぎて、紅葉亭へ向かう。
 日に日に気温は高くなっており、最寄り駅で電車を降りて歩いていると温かくなってくる。道の端によって、上着を脱いだ。

 店に着くと、父は仕込みをはじめていた。

「ああ、小春か。いつもありがとう」

 結婚する前は、こんなあらたまったお礼を言われた覚えがない。
 もちろん労われなかったというわけではなくて、私は従業員として働いていたため店にいるのが当たり前だった。

 父はなにげなく口にしているのだろうが、私はもう他所へ嫁いだ身なのだと自覚させられる。

「うん。お父さんも、お疲れさま」

 千隼さんとの結婚に、後悔はない。私はお見合いするより前から彼に好意を抱いていたし、結婚してからとにかく大切にしてくれるから不満もない。

 なんとなく感じる父との距離を、私がまだうまくのみ込めていないのだろう。
 ようやく新婚生活の再スタートを切ったばかりで、家族のかたちが変わった現実に馴染みきれていないのかもしれない。

 漠然とした寂しさに襲われるときもある。
 そのたびに、私たちが親子であるのはなにがあっても変わらないのだと、自身を慰めていた。
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