Stayhere! 上司は××××で御曹司
観客が前の方へと動いていくので、中間にいたななみも流されて、前列の方にくることができた。オールスタンディングで、キャパがそんなに広くないとこんなマジックが起きる。
音がして、ステージ上のライトがつく。わっ、とさらに観客が前のめりになる。
音楽と共に、マスクドキングの二人が、ステージに現れた。ギターを抱えたジョー、そしてソウ。
観客が彼らの名を呼ぶ。二人とも、静かにステージの自分の位置に立つ。
ジョーが準備OKの合図を出して、ソウがスタンドマイクに手を添えて立って言った。
「こんばんわ マスクドキングです」
きゃああっとひときわ大きい歓声があがって、間髪を入れずに曲が始まる。MCが挨拶だけなのもいつものことで、観客は歌の始まりを待っている。
マスクドキングはソウとジョーの二人組だが、ライブの時はサポートメンバーのベーシストとドラマーが加わることになっている。乾いて、キレているドラムに、地響きのようなベース、そこにジョーのギターが時入り、当然のように、ソウの歌が乗る。
スピード感のある曲が3曲、立て続けに演奏され、ホールは充分あったまった。
ステージ上のソウも、もう汗をかいている。ステージの後方に少しだけ下がり、汗をぬぐい、水分補給をした。
ななみは、そんなソウも記憶しておこうと、食い入るように見つめている。
スタンドマイク前に戻ってきたソウは、ふっ、と息を吐いて言った。
「新曲です。『ハニー・ハイ』」
ミディアムテンポの曲だった。いつも同じカフェでお茶を飲んでいるハニーが好きで仕方がない、という歌詞だった。可愛い歌詞なのに、エッジが効いていて、踊りたくなるような曲だ。
ななみは、ソウの書く歌詞も好きなので、できるだけ歌声から歌詞の世界を聞き取ろうとする。歌の主人公の気持ちが、ソウの声で流れ込んでくるのが心地いい。
だが次の瞬間、ななみは固まった。
「まるできつく縛ったリボンがほどかれるように心が開いていった。そんな君の横顔が」
そう、ソウは歌った。
「あの文章はよかったな」と、編集長が言ってくれたものと、一字一句一緒だ。
あのボツレビューを読んだことのあるのは、編集長ただ一人だ。こずえにも、かよにもボツになったことを話したけれど、読ませてはいない。
そんな…!
ななみは自分が今思っていることを、まさか、と思っていた。だが、そう思い込むのは無理だと思わされる証拠がそろってしまった。
「そんなことって…」
曲が流れている。事実に打ちのめされて、曲が頭に入ってこない。もったいない。あんなに待ち焦がれたライブだったのに。
すると、次の瞬間、誰かが叫んだ。
「火事だ!」
歓声にあふれていた会場が、ざわっと空気を一変させた。ななみが後方を振り返ると、ホールの後方に白い煙があがっていた。それに続くきゃー、という悲鳴。ざわめきはさらに大きくなり、ライブの音楽も止まった。
場内アナウンスが流れる。
「火災が発生した模様です。皆様、落ち着いて会場から出てください。繰り返します。火災が…」
観客がいっせいに出口をめがけて走り出す。ななみもそれについていくしかなかった。前からも後ろからも押されているような状態だ。いつの間にかホールの側面の壁にななみは押さえつけられた。一番前列にいた客達が我先に帰ろうとしているらしく、無理やりに人混みをつっきろうとしていて、そのとばっちりを受けたのだ。あまりにも押されて、息苦しくなっていると、ななみは、自分の背中にドアノブが当たっているのに気づいた。身体をひねって振り返ってみると一枚のドアがある。ここから脱け出せるかも?と少しだけドアを開けると、なんとか身体をすべりこませることができた。
ところが、身体を反転し一歩踏み出そうとしたら暗闇の中、物にぶつかった。ドアでも、外につながっているわけではなかったのだ。軽はずみなことをした自分を、ななみは悔いた。
ドアを開けてホール内に戻ろうとするが、客がひしめいているので、開けることができない。
「誰か!開けてー!」
ななみは叫んだ。ドアのすき間から煙が入り込んでくる。身じろぎすると、身体が角ばった物にぶつかる。機材置き場か何かかもしれない。
ななみは、ドアを叩き、開けて、と叫び続けた。しかし、観客たちのざわめきが聞こえるばかりで、いっこうにドアは開かない。
このまま私…どうなっちゃうんだろう。
悪い予感ばかりが頭をよぎる。さっきまでは、夢中でライブを観ていたのに。
ななみは、思った。
そうよ、編集長がソウだなんて、馬鹿なこと考えてたから、バチが当たっちゃったんだわ。
ライブで高揚していた分、自分の馬鹿さ加減がなおさら沁みた。大きく深呼吸をして、ここから出るにはどうしたらいいか考える。何か、方法はあるはず。反対側にライブハウスの楽屋に抜けれるようなドアがないか手探りで探す。
煙がじわじわと充満し始める。
やばっ…!
ななみが、煙を吸い込まないよう、ハンカチで口をふさごうとした時。
ガチャッと音を立ててドアが開いた。ぱあっと明かりが差し込む。逆光で入ってきた人物の顔が見えない。その人物は叫んだ。
「あほかっ。こんなとこ、入り込みやがって、見つからなかったら、施錠されて閉じ込められるとこだったぞ!」
聞きなれた、ハスキーな声。編集長、来てたんですか、と言おうとして、息をのんだ。
ドアが大きく開かれ、影でかくれていた人物の顔が露わになる。
そこにいたのは、いつものアイマスクをしたソウだった。
ソウの肩越しにライブハウスの様子が見えた。観客は逃げ切ったようで、誰もいない。ステージの方で、機材を動かしている音がする。
「か、火事は。私には構わず、逃げてくださいっ」
煙は薄くなっていたが、火が来てからでは遅い。ななみはソウだろうと誰だろうと、これだけは伝えないと、と叫んだ。
ソウはななみの肩を叩いた。
「落ち着け。あれは火災なんかじゃなかった。ただ発煙筒が投げ込まれただけだった。安心しろ」
「発煙筒…」
一気に安心して、身体の力が抜けた。思わずしゃがみ込みそうになると、ソウがななみの肩をつかんで、しゃんとさせた。
「俺が見つけなかったら、お前、明日まで見つからなかったぞ、全くもう。これだから、お前は放っておけないんだよ」
そんな憎まれ口も右から左に流れていく。
ソウが目の前にいる、という実感が激しく湧き上がる。
みるみるななみの目に涙があふれた。ずっとずっと逢ってみたかった。あのCDを買った時みたいに、目の前に立ってしゃべってみたかった。
あなたの歌が好きです。あなたの曲が好きです。何度も、何度も聴きました。
言いたい事は、たくさんあったはずなのに、月並みな言葉しか浮かんでこない。
そして、どうしても、避けられない言葉があった。
ななみは、意を決して、それを口にした。
「あ、の」
ソウは黙ってななみを見下ろす。
「あなたは…編集長、なんですか?」
ソウは、少しななみから視線をそらしてため息をついた。そっと手を頭にやり、アイマスクを外す。
「そうだよ。俺だよ」
アイマスクを外した顔は、いつも会社で見ている葉山編集長そのものだった。
こんな、こんなことって…!
「な…ど…」
なんで、言ってくれなかったんですか。どうして編集長がソウなんですか。言いたい事がありすぎて言葉にならない。涙だけがあふれ続けて、頬をつたう。
編集長は、困った顔をした。
「あー、そんなに泣くな。もっと喜べ。お前の好きなソウ様だろうがよ」
ななみはぶんぶん頭を振った。
「だって好きな人がソウだなんて…もう、キャパオーバー…」
音がして、ステージ上のライトがつく。わっ、とさらに観客が前のめりになる。
音楽と共に、マスクドキングの二人が、ステージに現れた。ギターを抱えたジョー、そしてソウ。
観客が彼らの名を呼ぶ。二人とも、静かにステージの自分の位置に立つ。
ジョーが準備OKの合図を出して、ソウがスタンドマイクに手を添えて立って言った。
「こんばんわ マスクドキングです」
きゃああっとひときわ大きい歓声があがって、間髪を入れずに曲が始まる。MCが挨拶だけなのもいつものことで、観客は歌の始まりを待っている。
マスクドキングはソウとジョーの二人組だが、ライブの時はサポートメンバーのベーシストとドラマーが加わることになっている。乾いて、キレているドラムに、地響きのようなベース、そこにジョーのギターが時入り、当然のように、ソウの歌が乗る。
スピード感のある曲が3曲、立て続けに演奏され、ホールは充分あったまった。
ステージ上のソウも、もう汗をかいている。ステージの後方に少しだけ下がり、汗をぬぐい、水分補給をした。
ななみは、そんなソウも記憶しておこうと、食い入るように見つめている。
スタンドマイク前に戻ってきたソウは、ふっ、と息を吐いて言った。
「新曲です。『ハニー・ハイ』」
ミディアムテンポの曲だった。いつも同じカフェでお茶を飲んでいるハニーが好きで仕方がない、という歌詞だった。可愛い歌詞なのに、エッジが効いていて、踊りたくなるような曲だ。
ななみは、ソウの書く歌詞も好きなので、できるだけ歌声から歌詞の世界を聞き取ろうとする。歌の主人公の気持ちが、ソウの声で流れ込んでくるのが心地いい。
だが次の瞬間、ななみは固まった。
「まるできつく縛ったリボンがほどかれるように心が開いていった。そんな君の横顔が」
そう、ソウは歌った。
「あの文章はよかったな」と、編集長が言ってくれたものと、一字一句一緒だ。
あのボツレビューを読んだことのあるのは、編集長ただ一人だ。こずえにも、かよにもボツになったことを話したけれど、読ませてはいない。
そんな…!
ななみは自分が今思っていることを、まさか、と思っていた。だが、そう思い込むのは無理だと思わされる証拠がそろってしまった。
「そんなことって…」
曲が流れている。事実に打ちのめされて、曲が頭に入ってこない。もったいない。あんなに待ち焦がれたライブだったのに。
すると、次の瞬間、誰かが叫んだ。
「火事だ!」
歓声にあふれていた会場が、ざわっと空気を一変させた。ななみが後方を振り返ると、ホールの後方に白い煙があがっていた。それに続くきゃー、という悲鳴。ざわめきはさらに大きくなり、ライブの音楽も止まった。
場内アナウンスが流れる。
「火災が発生した模様です。皆様、落ち着いて会場から出てください。繰り返します。火災が…」
観客がいっせいに出口をめがけて走り出す。ななみもそれについていくしかなかった。前からも後ろからも押されているような状態だ。いつの間にかホールの側面の壁にななみは押さえつけられた。一番前列にいた客達が我先に帰ろうとしているらしく、無理やりに人混みをつっきろうとしていて、そのとばっちりを受けたのだ。あまりにも押されて、息苦しくなっていると、ななみは、自分の背中にドアノブが当たっているのに気づいた。身体をひねって振り返ってみると一枚のドアがある。ここから脱け出せるかも?と少しだけドアを開けると、なんとか身体をすべりこませることができた。
ところが、身体を反転し一歩踏み出そうとしたら暗闇の中、物にぶつかった。ドアでも、外につながっているわけではなかったのだ。軽はずみなことをした自分を、ななみは悔いた。
ドアを開けてホール内に戻ろうとするが、客がひしめいているので、開けることができない。
「誰か!開けてー!」
ななみは叫んだ。ドアのすき間から煙が入り込んでくる。身じろぎすると、身体が角ばった物にぶつかる。機材置き場か何かかもしれない。
ななみは、ドアを叩き、開けて、と叫び続けた。しかし、観客たちのざわめきが聞こえるばかりで、いっこうにドアは開かない。
このまま私…どうなっちゃうんだろう。
悪い予感ばかりが頭をよぎる。さっきまでは、夢中でライブを観ていたのに。
ななみは、思った。
そうよ、編集長がソウだなんて、馬鹿なこと考えてたから、バチが当たっちゃったんだわ。
ライブで高揚していた分、自分の馬鹿さ加減がなおさら沁みた。大きく深呼吸をして、ここから出るにはどうしたらいいか考える。何か、方法はあるはず。反対側にライブハウスの楽屋に抜けれるようなドアがないか手探りで探す。
煙がじわじわと充満し始める。
やばっ…!
ななみが、煙を吸い込まないよう、ハンカチで口をふさごうとした時。
ガチャッと音を立ててドアが開いた。ぱあっと明かりが差し込む。逆光で入ってきた人物の顔が見えない。その人物は叫んだ。
「あほかっ。こんなとこ、入り込みやがって、見つからなかったら、施錠されて閉じ込められるとこだったぞ!」
聞きなれた、ハスキーな声。編集長、来てたんですか、と言おうとして、息をのんだ。
ドアが大きく開かれ、影でかくれていた人物の顔が露わになる。
そこにいたのは、いつものアイマスクをしたソウだった。
ソウの肩越しにライブハウスの様子が見えた。観客は逃げ切ったようで、誰もいない。ステージの方で、機材を動かしている音がする。
「か、火事は。私には構わず、逃げてくださいっ」
煙は薄くなっていたが、火が来てからでは遅い。ななみはソウだろうと誰だろうと、これだけは伝えないと、と叫んだ。
ソウはななみの肩を叩いた。
「落ち着け。あれは火災なんかじゃなかった。ただ発煙筒が投げ込まれただけだった。安心しろ」
「発煙筒…」
一気に安心して、身体の力が抜けた。思わずしゃがみ込みそうになると、ソウがななみの肩をつかんで、しゃんとさせた。
「俺が見つけなかったら、お前、明日まで見つからなかったぞ、全くもう。これだから、お前は放っておけないんだよ」
そんな憎まれ口も右から左に流れていく。
ソウが目の前にいる、という実感が激しく湧き上がる。
みるみるななみの目に涙があふれた。ずっとずっと逢ってみたかった。あのCDを買った時みたいに、目の前に立ってしゃべってみたかった。
あなたの歌が好きです。あなたの曲が好きです。何度も、何度も聴きました。
言いたい事は、たくさんあったはずなのに、月並みな言葉しか浮かんでこない。
そして、どうしても、避けられない言葉があった。
ななみは、意を決して、それを口にした。
「あ、の」
ソウは黙ってななみを見下ろす。
「あなたは…編集長、なんですか?」
ソウは、少しななみから視線をそらしてため息をついた。そっと手を頭にやり、アイマスクを外す。
「そうだよ。俺だよ」
アイマスクを外した顔は、いつも会社で見ている葉山編集長そのものだった。
こんな、こんなことって…!
「な…ど…」
なんで、言ってくれなかったんですか。どうして編集長がソウなんですか。言いたい事がありすぎて言葉にならない。涙だけがあふれ続けて、頬をつたう。
編集長は、困った顔をした。
「あー、そんなに泣くな。もっと喜べ。お前の好きなソウ様だろうがよ」
ななみはぶんぶん頭を振った。
「だって好きな人がソウだなんて…もう、キャパオーバー…」