Stayhere! 上司は××××で御曹司
100人のキャパのライブハウスが満員になった時はうれしかったね。もう自分たちでライブチケットを買い込む必要もなくなった。
ステージの袖から大入りの客を見ながら、ジョーが言った。
「ミキオに見せてやりてえな」
「ああ。でも、きっとその辺で見てるよ。パフェ食いながら」
「そうかもな」
俺達は笑った。もう、ミキオの事で冗談も言えるようになった。
◇◇
「そして、現在に至る。すまないな、長い話になって」
編集長は、ゆっくりと食後のコーヒーを口にした。
「いえ…キングには、何か秘密があるんだろうな、とは思っていたんです。それが三人目のメンバー、ミキオさんの事だったんですね」
ななみは、編集長の語る世界にぐっと引き込まれていた。バンドを続けていくには、強い意志が必要だ。その根幹にあるのが、ミキオの願いだった。
「…嬉しいです。そんな大事なことが聞けて」
「うん…北条は、何もきかないでいてくれただろう。それも、嬉しかったんだ。普通、ミーハーなファンだったらあれこれ聞き出そうとするよな」
ななみは、う、と口をつぐんだ。
「どうした?」
ななみは、恥ずかしかったが、白状することにした。そっとバックから手帳を取り出す。
「ききたいこととか、知りたいこととか、ありすぎて…全部、ぶつけるわけにはいかないから、手帳につけてたんです…」
編集長は、手帳を受け取り、見ていいのか、と言った。ななみは、頷いた。パラパラと手帳をめくった編集長は、ぷっと吹き出した。
「こんなにあるのか」
「気がついたらたまってしまってて…まぎれもない、ミーハーファンです。私」
「ななみらしいよ」
薄く笑って、編集長が言った。突然、名前を呼ばれて、ななみは、かあっと全身が熱くなった。距離が縮まった嬉しさで胸がきゅうっとなる。
自分も編集長のことを、名前で呼んだ方がいいんだろうか、と思った矢先、
「やっぱり来てたんだな。祥月命日だから、ここだと思った」
ななみたちのテーブルに向かってやって来た男性が言った。三十代くらいで、長い髪の毛を、一つにまとめている。セーターにジャケットという、カジュアルだがきちんとした服装だ。
「ちょうどよかった。お前に紹介したかったんだ。北条ななみ。今、つきあってる」
ななみは、そんなに、はっきりと言ってくれるとは思っていなかった。これまた体温があがる。ドキドキすることが多いデートだ。
「北条…ああ。あの北条ななみ」
男性が呟いた。
「え?」
あの、ってなんだろうと自然と疑問がわく。すると編集長が咳払いをした。
「北条、紹介する。学生の頃からつるんでる来生丈太郎だ」
「あ!」
名前をきいて、はっとした。ななみは小声でジョーさんですか、と確認した。
ジョーは、大きく頷いて、にやっと笑った。
うわ、生のソウとジョーのツーショット!と、ファン心が激しく刺激される。
「珍しいよ。ソウが彼女を紹介してくれるなんてさ。大事にするよう、しっかり言い聞かせるからね。安心していいよ、ななみちゃん」
なんて言っていいかわからず、ななみは言った。
「はい、私も編集長を大事にします」
「ははは、よかったな。ソウ、大事にしてもらえるってよ」
「お前、昼から飲んでるのか、テンションがおかしいぞ。大体、今日は何でここにいるんだ」
「ライブハウスの牧さんから連絡があってな。お前に直に知らせたかったんだ。この間のライブの火事の時、高級車が停まって、すぐに去っていった、っていう目撃情報があったらしい」
「高級車?あの界隈だったら、それは目立つな」
「そいつが絡んでるとなると、発煙筒を騒ぎは、アンチファンの嫌がらせで片づけるわけにもいかなくなるな」
「高級車か…」
編集長は、思い当たる節があるのか、考え込んでしまった。
「ま、そういうことだから。デートの邪魔してごめんね、ななみちゃん。俺も、向こうの席で彼女待たせてるんだ。じゃあ、またね」
「はい。また」
ななみは、軽く会釈した。ジョーは足取り軽く、去っていった。編集長を見ると、まだ何か考えているようだった。
レストランを出た後、編集長は、ドライブに連れて行ってくれた。
車中で、ななみは気になったことを言った。
「あの、編集長とゆっくり話す機会がなくて、言えなかったんですけど。あの発煙筒騒ぎって何だったんですか?」
ジョーがそれらしい事を口にしていたので、改めて編集長にききたくなったのだった。
「ああ。キングも目立ってきたからな、最初はアンチファンの嫌がらせだろう、って話になってた。
でも、ジョーが言ってた高級車が絡んでくると、そうじゃないかもな」
「高級車に心当たりがあるんですか?」
「まあな…それより。さっきの手帳の質問。片っ端から答えてやる、言ってみろ」
そうくるとは思っていなかった。しかし、チャンスは逃すまいと、ななみは思うがまま、質問攻めにした。他愛ない質問を早速五つくらいした。
「次は…えーと、好きな色とか」
「ブルーだな」
「…あ、あと、朝食は、パン派ですか、ご飯派ですか」
「パンだな。っていうか、まだあるのか質問」
「まだ、たっぷりあります」
「うわ。インタビューされる側の面倒くささが、今、わかったわ」
「そうですよ。今日は、逃しませんよ」
「怖っ」
「キングが取材を受けていたら、基本的なことはわかったと思うんですけど、どこの取材も受けてないですよね?」
「ああ、せっかくマスクをつけてるんだから、正体不明にしようって三人で話しあったんだ。それに俺は、音楽雑誌やってるだろ。音楽ライターがロッカーとか意外性がなくてつまんねえだろ。正体不明でちょうどよかったんだよ」
「そう言えば、編集長、照れ屋なのに、キングでアイマスクしようってなった時、すんなり受け入れられたんですか?」
白のシャツに黒パンツ。それにアイマスク。ななみは、当然のように恰好いいと思うけれど、実際に身につけている側は、どう思っているか、聞きたくなった。
「あー…あれは、アンドレだ」
微妙に言いたくないのか、小声になっている。
「え?!アンドレってまさか、ベルサイユのバラの、アンドレですか。編集長、なんでそんな女子の漫画、知ってるんですか」
「小学校の時、近所の図書館で読んだ。うちに帰っても一人だろ、おふくろ働いてるから。だから、学校帰って図書館に行くのは日常でな。子供だから読みやすい漫画ばっかり読んでたらいつの間にか少女漫画も読んでたわけだ。ななみこそ、なんで知ってるんだ」
「うちは、お母さんが好きで。家にあったんです。って、でも、アンドレ…?」
「ジョーがアイマスク持ってきたとき、俺は咄嗟にアンドレ思い出してな。アンドレが黒い騎士ってのになりすますのに、アイマスクをするわけよ。それが妙に恰好よかったな…と思い出して、まあ、そのおかげで、そんなに抵抗はなかったな」
「な、なんか社会的なポリシーとかあるのかと思ってました」
まさか、アンドレが理由になるなんて。
「恰好よかったら、やる。シンプルなもんだ。そのくらいの方が、いろいろうまくいったりすんだよな」
聞いてみないとわからないことってあるもんだなあ、と改めて思う。
車の窓の外の景色が変わっていく。
話が途切れたところで、ななみは、もう一つ、ききたかったことをきいた。
「編集長がキングのボーカルなわけですけど…キングのレビューを私に書かせない理由って何かつながってるんですか?」
運転で前を見ながら、編集長が、あー、と声を出した。
「基本的に、あんまり大ファンなやつが書くレビューって面白くないよな。そいつだけが盛り上がってる感じが出ちまって。ななみには、じっくり腰を据えて書いてほしいって気持ちがある。まだレビューだって書き始めたばかりだろ。もっと力をつけてからじゃないと、書かせられないな」
そうなんだ、とななみは腑に落ちた。確かに、私情がめいっぱい入ったレビューを書いてしまいそうな予感がする。
「それとだな…」
編集長が、何か言いにくそうにしている。
「いや、やっぱり、いい」
そう言われると、気になってしまう。
「何ですか?言いづらいこと?」
編集長は、ばつが悪そうな顔をしている。
「お前のキングのレビューなんて…気恥ずかしいし、何より、俺が、冷静に読めない」
「え?」
「だから、お前みたいな大ファンが書いたの、平常心で読める気がしない。絶対、にやけて、正常な判断くだせそうにない」
編集長の横顔を盗み見ると、耳が少し赤かった。
うわ。なんてかわいいの、この人。
思わず、ななみはきゅんとした。
「編集長でも、そんなことってあるんですね。キングのソウは、もっとクールなんだって思ってました」
「そんな風に見えるよう、してるがな…でも、普通の感覚を持つのも大事なんだ。それがあるから、人の気持ちに刺さる歌詞が書けると思ってる。まあ、ぶっとんだミュージシャンも多いのも知ってるけどな」
ななみは、編集長だけじゃなく、ソウの言葉も聞けるんだ、と改めて自分がいかに恵まれたポジションにいるかを知った。
大型スーパーが前方に見えてきたとき、編集長が言った。
「そういえば、風邪のとき食ったポトフうまかったな」
「覚えてるんですか。熱と一緒に忘れ去られたかと思ってました」
「いや…つい偏食しがちになるからな。野菜食えて嬉しかったわ」
「そうなんですか…」
ななみは、車の窓の外を見た。もうすぐスーパーの駐車場だ。
「よ、よかったら作りましょうか…?」
ななみは、勇気を出して言った。ポトフを褒めたから調子に乗ったと思われるかも、と思ったが、編集長にもっと野菜を食べさせてあげたい気持ちが勝ったのだった。
「マジ?めっちゃ嬉しい。よし、スーパー寄ってくか」
なんだか、今日の編集長は、いつもよりも優しく感じる。言葉がいちいち素直だ。そのことについ喜んでしまう。初めてのデートが嬉しいのは自分だけじゃない、とななみは思った。
スーパーで食材を買い込み、編集長の部屋に着いた。
玄関先で、スーパーの袋を置き、靴を脱ごうとしたら、後ろから抱きしめられた。
「編…」
「ごめん、もう待てない」
器用に、身体の向きを変えられた。編集長は、ななみに素早くキスをした。何度か唇を軽くかむようなキスをされる。どうしていいかわからず編集長、と言おうとすると唇が開いた。そこに、編集長の舌が入り込んだ。舌と舌が触れると、じん、と腰のあたりが熱くなった。自分の身体の変化に恥ずかしさが加速する。
キスは長く続いた。ななみはわからないなりに、編集長にしがみついた。編集長の息が熱いのがわかる。腰の熱は、さらにあがり、膝に力が入らなくなっていく。
キスがこんなにも、何もかも奪われるようなものだということを、ななみは、初めて知った。頭の中は真っ白で、やってくる快感を追うことに精一杯だ。
ステージの袖から大入りの客を見ながら、ジョーが言った。
「ミキオに見せてやりてえな」
「ああ。でも、きっとその辺で見てるよ。パフェ食いながら」
「そうかもな」
俺達は笑った。もう、ミキオの事で冗談も言えるようになった。
◇◇
「そして、現在に至る。すまないな、長い話になって」
編集長は、ゆっくりと食後のコーヒーを口にした。
「いえ…キングには、何か秘密があるんだろうな、とは思っていたんです。それが三人目のメンバー、ミキオさんの事だったんですね」
ななみは、編集長の語る世界にぐっと引き込まれていた。バンドを続けていくには、強い意志が必要だ。その根幹にあるのが、ミキオの願いだった。
「…嬉しいです。そんな大事なことが聞けて」
「うん…北条は、何もきかないでいてくれただろう。それも、嬉しかったんだ。普通、ミーハーなファンだったらあれこれ聞き出そうとするよな」
ななみは、う、と口をつぐんだ。
「どうした?」
ななみは、恥ずかしかったが、白状することにした。そっとバックから手帳を取り出す。
「ききたいこととか、知りたいこととか、ありすぎて…全部、ぶつけるわけにはいかないから、手帳につけてたんです…」
編集長は、手帳を受け取り、見ていいのか、と言った。ななみは、頷いた。パラパラと手帳をめくった編集長は、ぷっと吹き出した。
「こんなにあるのか」
「気がついたらたまってしまってて…まぎれもない、ミーハーファンです。私」
「ななみらしいよ」
薄く笑って、編集長が言った。突然、名前を呼ばれて、ななみは、かあっと全身が熱くなった。距離が縮まった嬉しさで胸がきゅうっとなる。
自分も編集長のことを、名前で呼んだ方がいいんだろうか、と思った矢先、
「やっぱり来てたんだな。祥月命日だから、ここだと思った」
ななみたちのテーブルに向かってやって来た男性が言った。三十代くらいで、長い髪の毛を、一つにまとめている。セーターにジャケットという、カジュアルだがきちんとした服装だ。
「ちょうどよかった。お前に紹介したかったんだ。北条ななみ。今、つきあってる」
ななみは、そんなに、はっきりと言ってくれるとは思っていなかった。これまた体温があがる。ドキドキすることが多いデートだ。
「北条…ああ。あの北条ななみ」
男性が呟いた。
「え?」
あの、ってなんだろうと自然と疑問がわく。すると編集長が咳払いをした。
「北条、紹介する。学生の頃からつるんでる来生丈太郎だ」
「あ!」
名前をきいて、はっとした。ななみは小声でジョーさんですか、と確認した。
ジョーは、大きく頷いて、にやっと笑った。
うわ、生のソウとジョーのツーショット!と、ファン心が激しく刺激される。
「珍しいよ。ソウが彼女を紹介してくれるなんてさ。大事にするよう、しっかり言い聞かせるからね。安心していいよ、ななみちゃん」
なんて言っていいかわからず、ななみは言った。
「はい、私も編集長を大事にします」
「ははは、よかったな。ソウ、大事にしてもらえるってよ」
「お前、昼から飲んでるのか、テンションがおかしいぞ。大体、今日は何でここにいるんだ」
「ライブハウスの牧さんから連絡があってな。お前に直に知らせたかったんだ。この間のライブの火事の時、高級車が停まって、すぐに去っていった、っていう目撃情報があったらしい」
「高級車?あの界隈だったら、それは目立つな」
「そいつが絡んでるとなると、発煙筒を騒ぎは、アンチファンの嫌がらせで片づけるわけにもいかなくなるな」
「高級車か…」
編集長は、思い当たる節があるのか、考え込んでしまった。
「ま、そういうことだから。デートの邪魔してごめんね、ななみちゃん。俺も、向こうの席で彼女待たせてるんだ。じゃあ、またね」
「はい。また」
ななみは、軽く会釈した。ジョーは足取り軽く、去っていった。編集長を見ると、まだ何か考えているようだった。
レストランを出た後、編集長は、ドライブに連れて行ってくれた。
車中で、ななみは気になったことを言った。
「あの、編集長とゆっくり話す機会がなくて、言えなかったんですけど。あの発煙筒騒ぎって何だったんですか?」
ジョーがそれらしい事を口にしていたので、改めて編集長にききたくなったのだった。
「ああ。キングも目立ってきたからな、最初はアンチファンの嫌がらせだろう、って話になってた。
でも、ジョーが言ってた高級車が絡んでくると、そうじゃないかもな」
「高級車に心当たりがあるんですか?」
「まあな…それより。さっきの手帳の質問。片っ端から答えてやる、言ってみろ」
そうくるとは思っていなかった。しかし、チャンスは逃すまいと、ななみは思うがまま、質問攻めにした。他愛ない質問を早速五つくらいした。
「次は…えーと、好きな色とか」
「ブルーだな」
「…あ、あと、朝食は、パン派ですか、ご飯派ですか」
「パンだな。っていうか、まだあるのか質問」
「まだ、たっぷりあります」
「うわ。インタビューされる側の面倒くささが、今、わかったわ」
「そうですよ。今日は、逃しませんよ」
「怖っ」
「キングが取材を受けていたら、基本的なことはわかったと思うんですけど、どこの取材も受けてないですよね?」
「ああ、せっかくマスクをつけてるんだから、正体不明にしようって三人で話しあったんだ。それに俺は、音楽雑誌やってるだろ。音楽ライターがロッカーとか意外性がなくてつまんねえだろ。正体不明でちょうどよかったんだよ」
「そう言えば、編集長、照れ屋なのに、キングでアイマスクしようってなった時、すんなり受け入れられたんですか?」
白のシャツに黒パンツ。それにアイマスク。ななみは、当然のように恰好いいと思うけれど、実際に身につけている側は、どう思っているか、聞きたくなった。
「あー…あれは、アンドレだ」
微妙に言いたくないのか、小声になっている。
「え?!アンドレってまさか、ベルサイユのバラの、アンドレですか。編集長、なんでそんな女子の漫画、知ってるんですか」
「小学校の時、近所の図書館で読んだ。うちに帰っても一人だろ、おふくろ働いてるから。だから、学校帰って図書館に行くのは日常でな。子供だから読みやすい漫画ばっかり読んでたらいつの間にか少女漫画も読んでたわけだ。ななみこそ、なんで知ってるんだ」
「うちは、お母さんが好きで。家にあったんです。って、でも、アンドレ…?」
「ジョーがアイマスク持ってきたとき、俺は咄嗟にアンドレ思い出してな。アンドレが黒い騎士ってのになりすますのに、アイマスクをするわけよ。それが妙に恰好よかったな…と思い出して、まあ、そのおかげで、そんなに抵抗はなかったな」
「な、なんか社会的なポリシーとかあるのかと思ってました」
まさか、アンドレが理由になるなんて。
「恰好よかったら、やる。シンプルなもんだ。そのくらいの方が、いろいろうまくいったりすんだよな」
聞いてみないとわからないことってあるもんだなあ、と改めて思う。
車の窓の外の景色が変わっていく。
話が途切れたところで、ななみは、もう一つ、ききたかったことをきいた。
「編集長がキングのボーカルなわけですけど…キングのレビューを私に書かせない理由って何かつながってるんですか?」
運転で前を見ながら、編集長が、あー、と声を出した。
「基本的に、あんまり大ファンなやつが書くレビューって面白くないよな。そいつだけが盛り上がってる感じが出ちまって。ななみには、じっくり腰を据えて書いてほしいって気持ちがある。まだレビューだって書き始めたばかりだろ。もっと力をつけてからじゃないと、書かせられないな」
そうなんだ、とななみは腑に落ちた。確かに、私情がめいっぱい入ったレビューを書いてしまいそうな予感がする。
「それとだな…」
編集長が、何か言いにくそうにしている。
「いや、やっぱり、いい」
そう言われると、気になってしまう。
「何ですか?言いづらいこと?」
編集長は、ばつが悪そうな顔をしている。
「お前のキングのレビューなんて…気恥ずかしいし、何より、俺が、冷静に読めない」
「え?」
「だから、お前みたいな大ファンが書いたの、平常心で読める気がしない。絶対、にやけて、正常な判断くだせそうにない」
編集長の横顔を盗み見ると、耳が少し赤かった。
うわ。なんてかわいいの、この人。
思わず、ななみはきゅんとした。
「編集長でも、そんなことってあるんですね。キングのソウは、もっとクールなんだって思ってました」
「そんな風に見えるよう、してるがな…でも、普通の感覚を持つのも大事なんだ。それがあるから、人の気持ちに刺さる歌詞が書けると思ってる。まあ、ぶっとんだミュージシャンも多いのも知ってるけどな」
ななみは、編集長だけじゃなく、ソウの言葉も聞けるんだ、と改めて自分がいかに恵まれたポジションにいるかを知った。
大型スーパーが前方に見えてきたとき、編集長が言った。
「そういえば、風邪のとき食ったポトフうまかったな」
「覚えてるんですか。熱と一緒に忘れ去られたかと思ってました」
「いや…つい偏食しがちになるからな。野菜食えて嬉しかったわ」
「そうなんですか…」
ななみは、車の窓の外を見た。もうすぐスーパーの駐車場だ。
「よ、よかったら作りましょうか…?」
ななみは、勇気を出して言った。ポトフを褒めたから調子に乗ったと思われるかも、と思ったが、編集長にもっと野菜を食べさせてあげたい気持ちが勝ったのだった。
「マジ?めっちゃ嬉しい。よし、スーパー寄ってくか」
なんだか、今日の編集長は、いつもよりも優しく感じる。言葉がいちいち素直だ。そのことについ喜んでしまう。初めてのデートが嬉しいのは自分だけじゃない、とななみは思った。
スーパーで食材を買い込み、編集長の部屋に着いた。
玄関先で、スーパーの袋を置き、靴を脱ごうとしたら、後ろから抱きしめられた。
「編…」
「ごめん、もう待てない」
器用に、身体の向きを変えられた。編集長は、ななみに素早くキスをした。何度か唇を軽くかむようなキスをされる。どうしていいかわからず編集長、と言おうとすると唇が開いた。そこに、編集長の舌が入り込んだ。舌と舌が触れると、じん、と腰のあたりが熱くなった。自分の身体の変化に恥ずかしさが加速する。
キスは長く続いた。ななみはわからないなりに、編集長にしがみついた。編集長の息が熱いのがわかる。腰の熱は、さらにあがり、膝に力が入らなくなっていく。
キスがこんなにも、何もかも奪われるようなものだということを、ななみは、初めて知った。頭の中は真っ白で、やってくる快感を追うことに精一杯だ。