Stayhere! 上司は××××で御曹司
ライター達に激アツの彼女でもいるんじゃないか、と噂されていた。
「ああ。別に酒は嫌いじゃないしな。会社の連中と飲まないのは、あれだ、俺がいたら俺の悪口を言えないだろうからな」
「そんな、悪口なんて言ってないですよ」
それは本当だった。厳しいので「魔王」と呼んだりもするけれど、皆、編集長がフェアな人であることを知っている。だからどんなに赤を入れられても、シロが返ってきても、不満はないのだ。ただいい仕事を求められていることを、皆理解している。
「なら、よかった」
ふっと編集長の口元がゆるんだ。それを見て、ななみはつい口をすべらせた。
「ただ、校了明けと共にいなくなるから、ラブラブの彼女がいるのかなって…」
編集長は、足を止め、ななみの顔を覗き込んだ。
「な、何ですか」
急に顔を近づけられると、どきりとする。
「北条、お前、俺のプライベートに興味があるのか」
にやっと編集長が笑った。ななみは、かあっと頬が熱くなった。
「ち、ちがいますっ!」
そんなんじゃない、と大声で叫びたいところだ。編集長は、くくっと笑っている。どうやら、からかわれたらしい。むう、とななみはむくれた。
そうこうしているうちに、ななみのアパート前にたどり着いた。近くなったら、「編集長、もうこの辺で大丈夫ですから」と言うつもりだったのに、むくれていて忘れていた。
さすがに、我に返って、ななみは言った。
「編集長。うち、ここです。すみません。編集長のおうちまですごく遠回りに、なったんじゃないですか」
「いや。そうでもない」
全くだ、とでも言われそうだと思っていたので、ななみは拍子抜けした。
「この近くに、桜井神社があるだろう。あれの斜め前が、俺のマンションだ」
「桜井神社?あ、行ったことあります。ここから五分くらい…え、じゃあ編集長は、割とご近所さんだったんですね」
「そうみたいだな。住所じゃ隣町だったからもっと離れてると思ってたんだがな」
「はあ…」
「じゃあな。ちゃんと風呂入って、歯磨いて、寝ろよ」
「しょ、小学生じゃないんですからっ。でも、ありがとうございました」
ななみがお辞儀する。それを見ずに編集長は背を向けて桜井神社の方へ歩いて行った。
なんか濃い時間だったな…。ななみは、編集長に言われた通り、お風呂に入って歯を磨いてベッドに入った。
明かりを消した部屋の天井に浮かぶのは、さっきまで一緒にいた編集長の顔で。
怒ったり焦ったり、照れたり…忙しい人だな。
ななみは、くすくす笑いながら、目をつむった。
「あ、また来てる」
お昼休憩の後、ななみはPCのメールチェックをしていた。一般読者からのメールを確認するのもバイトのななみの仕事だ。多いのは、やはり「rock:of」の記事の感想だ。ミュージシャンのここがよかった、とかこの写真がたまらなかった、とか生の声は貴重だ。これから誌面を作っていくための指標にもなる。
ななみも、注意深く迷惑メールを取り除いて、メールを読む。
「また、って。ひょっとしてマシューのこと?」
隣の席のこずえが言った。独り言が聞こえたようだ。
「そうなんです。マシューが『rock:of』で、どう料理されるか楽しみ、っていうメールがこないだもあったんですよね。ネットでつぶやいてる人も多いみたいで」
「まあね、あのマシューの独占インタビューだもんね。そりゃあ期待するよね」
マシューこと真山修治は、作詞作曲をして歌うミュージシャンだ。最初は俳優を目指していたのに、ネットでアップした自作の曲が脚光を浴びた。CMにも採用され、あっという間にJ-popのヒットチャートの仲間入りをした。かと言って一発屋でもなく、続く2曲目3曲目も順調にヒットしている。
実力派歌手という括りですごいのは当然なのだが、実はそれ以外にも人気の訳があった。真山修治は、ほとんど、インタビューを受けることがない。テレビの音楽番組に出ても、言葉を発するのは、一言、ふた言。寡黙に徹しているのだ。それがミステリアス、とか不思議な魅力がある、と言われ、歌の人気を倍にしているのだった。
そんなマシューだったから、「rock:of」の11月号でインタビューすることになった、と聞いた時、ななみも耳を疑った。あの喋らないマシューがインタビュー?
しかも、インタビュアーは、編集長が直々にやると言う。過去にも、編集長は大物歌手とのインタビューをしたことがあった。通常だとスルーされそうな聞きにくい事をズバズバ聞いて、大物歌手が「もう勘弁してよ」と大笑いした。滅多に見られない大物歌手のくだけっぷりが読者にヒットして、その号の「rock:of」は完売した。
そんな事があったので、今度は真山修治が編集長葉山宗吾に、何を言われるのか、読者やネットの住人たちがさわさわと騒いでいるのだった。11月号の発売日は3週間後で、インタビュー取材は、明後日行われることになっている。
「まあ、確かに注目はされるだろうけど…今回は、ちょっと違うよね」
こずえがぼそっと呟いた。
「例の、メアリーの件でしょう」
ななみが言うと、こずえも頷いた。
マシューの出しているアルバムの中に、「メアリー」という曲がある。ゆっくりしたテンポのバラードで、サビでマシューが「メアリー」と歌う時、背筋がぞっとするほど、切なくなってしまう曲だ。歌詞も抽象的だが、その断片からメアリーが亡くなっていて、それを悲しんでいる主人公の歌なのだとわかる。
「メアリー元カノ説かあ。まあ、騒ぎたくなるのもわかるけどねえ」
こずえがコーヒーをすすりながら言った。曲を聴いたファンが、この切なさはフィクションとは思えない、実際に亡くなった女性がいるはず、と騒ぎ出したのだ。
「うーん。確かに『メアリー』って切なくていい曲ですけど、だからって元カノなんじゃっていうのも短絡的だと思うんですよね」
ななみだって「メアリー」という曲は好きだ。サビでぐっとくるし、サビ以外のメロディも美しいと思う。
「結局、谷川アンリの売名行為ってオチになるよねえ」
「そこですよ」
谷川アンリは、二十代後半のグラビアアイドルだ。いつの頃からか、「メアリーは生きていて、谷川アンリのことを歌っている」という説が流れ始めた。確かに曲の中のメアリーは谷川アンリと同じように左耳にだけピアスをしているし、長く赤っぽい髪の毛もかぶっている。
「メアリーを偲んでいる歌がノンフィクションってことになったら、マシューはアンリにふられて、また会いたいって歌ってるのかって疑われたりしてるよね」
「マシューも、さすがにそこまでいくと黙っていられなくなったんですかね」
「そうだよね。谷川アンリと無関係だったら、ほんといい迷惑だもんね。ただ私が気になってるのは、そんなネタでよく編集長が動く気になったな、ってこと」
「え。マシュー側じゃなくて?」
ななみは、頷くこずえを見た。
「編集長も、何を扱うかは丁寧にやってるの。世間が騒いでるからってそれに乗っかるタイプじゃない。しかも売名絡みなんて普通は手を出さないわ。何か、あるんじゃないかしら編集長の独自の、こうやって斬ってやろう、っていうたくらみが」
「たくらみですか…」
ななみは、思わず、奥のデスクに座る編集長を見た。熱心に何か読んでいる。
「ああ。別に酒は嫌いじゃないしな。会社の連中と飲まないのは、あれだ、俺がいたら俺の悪口を言えないだろうからな」
「そんな、悪口なんて言ってないですよ」
それは本当だった。厳しいので「魔王」と呼んだりもするけれど、皆、編集長がフェアな人であることを知っている。だからどんなに赤を入れられても、シロが返ってきても、不満はないのだ。ただいい仕事を求められていることを、皆理解している。
「なら、よかった」
ふっと編集長の口元がゆるんだ。それを見て、ななみはつい口をすべらせた。
「ただ、校了明けと共にいなくなるから、ラブラブの彼女がいるのかなって…」
編集長は、足を止め、ななみの顔を覗き込んだ。
「な、何ですか」
急に顔を近づけられると、どきりとする。
「北条、お前、俺のプライベートに興味があるのか」
にやっと編集長が笑った。ななみは、かあっと頬が熱くなった。
「ち、ちがいますっ!」
そんなんじゃない、と大声で叫びたいところだ。編集長は、くくっと笑っている。どうやら、からかわれたらしい。むう、とななみはむくれた。
そうこうしているうちに、ななみのアパート前にたどり着いた。近くなったら、「編集長、もうこの辺で大丈夫ですから」と言うつもりだったのに、むくれていて忘れていた。
さすがに、我に返って、ななみは言った。
「編集長。うち、ここです。すみません。編集長のおうちまですごく遠回りに、なったんじゃないですか」
「いや。そうでもない」
全くだ、とでも言われそうだと思っていたので、ななみは拍子抜けした。
「この近くに、桜井神社があるだろう。あれの斜め前が、俺のマンションだ」
「桜井神社?あ、行ったことあります。ここから五分くらい…え、じゃあ編集長は、割とご近所さんだったんですね」
「そうみたいだな。住所じゃ隣町だったからもっと離れてると思ってたんだがな」
「はあ…」
「じゃあな。ちゃんと風呂入って、歯磨いて、寝ろよ」
「しょ、小学生じゃないんですからっ。でも、ありがとうございました」
ななみがお辞儀する。それを見ずに編集長は背を向けて桜井神社の方へ歩いて行った。
なんか濃い時間だったな…。ななみは、編集長に言われた通り、お風呂に入って歯を磨いてベッドに入った。
明かりを消した部屋の天井に浮かぶのは、さっきまで一緒にいた編集長の顔で。
怒ったり焦ったり、照れたり…忙しい人だな。
ななみは、くすくす笑いながら、目をつむった。
「あ、また来てる」
お昼休憩の後、ななみはPCのメールチェックをしていた。一般読者からのメールを確認するのもバイトのななみの仕事だ。多いのは、やはり「rock:of」の記事の感想だ。ミュージシャンのここがよかった、とかこの写真がたまらなかった、とか生の声は貴重だ。これから誌面を作っていくための指標にもなる。
ななみも、注意深く迷惑メールを取り除いて、メールを読む。
「また、って。ひょっとしてマシューのこと?」
隣の席のこずえが言った。独り言が聞こえたようだ。
「そうなんです。マシューが『rock:of』で、どう料理されるか楽しみ、っていうメールがこないだもあったんですよね。ネットでつぶやいてる人も多いみたいで」
「まあね、あのマシューの独占インタビューだもんね。そりゃあ期待するよね」
マシューこと真山修治は、作詞作曲をして歌うミュージシャンだ。最初は俳優を目指していたのに、ネットでアップした自作の曲が脚光を浴びた。CMにも採用され、あっという間にJ-popのヒットチャートの仲間入りをした。かと言って一発屋でもなく、続く2曲目3曲目も順調にヒットしている。
実力派歌手という括りですごいのは当然なのだが、実はそれ以外にも人気の訳があった。真山修治は、ほとんど、インタビューを受けることがない。テレビの音楽番組に出ても、言葉を発するのは、一言、ふた言。寡黙に徹しているのだ。それがミステリアス、とか不思議な魅力がある、と言われ、歌の人気を倍にしているのだった。
そんなマシューだったから、「rock:of」の11月号でインタビューすることになった、と聞いた時、ななみも耳を疑った。あの喋らないマシューがインタビュー?
しかも、インタビュアーは、編集長が直々にやると言う。過去にも、編集長は大物歌手とのインタビューをしたことがあった。通常だとスルーされそうな聞きにくい事をズバズバ聞いて、大物歌手が「もう勘弁してよ」と大笑いした。滅多に見られない大物歌手のくだけっぷりが読者にヒットして、その号の「rock:of」は完売した。
そんな事があったので、今度は真山修治が編集長葉山宗吾に、何を言われるのか、読者やネットの住人たちがさわさわと騒いでいるのだった。11月号の発売日は3週間後で、インタビュー取材は、明後日行われることになっている。
「まあ、確かに注目はされるだろうけど…今回は、ちょっと違うよね」
こずえがぼそっと呟いた。
「例の、メアリーの件でしょう」
ななみが言うと、こずえも頷いた。
マシューの出しているアルバムの中に、「メアリー」という曲がある。ゆっくりしたテンポのバラードで、サビでマシューが「メアリー」と歌う時、背筋がぞっとするほど、切なくなってしまう曲だ。歌詞も抽象的だが、その断片からメアリーが亡くなっていて、それを悲しんでいる主人公の歌なのだとわかる。
「メアリー元カノ説かあ。まあ、騒ぎたくなるのもわかるけどねえ」
こずえがコーヒーをすすりながら言った。曲を聴いたファンが、この切なさはフィクションとは思えない、実際に亡くなった女性がいるはず、と騒ぎ出したのだ。
「うーん。確かに『メアリー』って切なくていい曲ですけど、だからって元カノなんじゃっていうのも短絡的だと思うんですよね」
ななみだって「メアリー」という曲は好きだ。サビでぐっとくるし、サビ以外のメロディも美しいと思う。
「結局、谷川アンリの売名行為ってオチになるよねえ」
「そこですよ」
谷川アンリは、二十代後半のグラビアアイドルだ。いつの頃からか、「メアリーは生きていて、谷川アンリのことを歌っている」という説が流れ始めた。確かに曲の中のメアリーは谷川アンリと同じように左耳にだけピアスをしているし、長く赤っぽい髪の毛もかぶっている。
「メアリーを偲んでいる歌がノンフィクションってことになったら、マシューはアンリにふられて、また会いたいって歌ってるのかって疑われたりしてるよね」
「マシューも、さすがにそこまでいくと黙っていられなくなったんですかね」
「そうだよね。谷川アンリと無関係だったら、ほんといい迷惑だもんね。ただ私が気になってるのは、そんなネタでよく編集長が動く気になったな、ってこと」
「え。マシュー側じゃなくて?」
ななみは、頷くこずえを見た。
「編集長も、何を扱うかは丁寧にやってるの。世間が騒いでるからってそれに乗っかるタイプじゃない。しかも売名絡みなんて普通は手を出さないわ。何か、あるんじゃないかしら編集長の独自の、こうやって斬ってやろう、っていうたくらみが」
「たくらみですか…」
ななみは、思わず、奥のデスクに座る編集長を見た。熱心に何か読んでいる。