Stayhere! 上司は××××で御曹司
この間、バーから送ってもらってから、少し編集長を見る目が変わった。崇めたりびくびくするばかりだったのが、意外とそう遠い存在でもなくなってきた、というか。以前は、コーヒーを持っていくだけでもドキドキして、何かダメだしされないか気が気でなかった。だが、最近は、編集長が聴いている古いロックミュージシャンの曲をななみも知っていたりして、「これ好きなんです」くらいは言えるようになった。
編集長が、本を片手にマグカップを持ち上げ、すぐにおろした。
あ、カップがカラなんだ。ななみは立ち上がり、コーヒーを入れた。
「編集長、コーヒーです」
「ああ、悪い」
本から目を離さずに言う。そんなに面白いのか、と本を見ると、ななみも読んだことのある海外ミステリーだった。
「それ、知ってます。サラ・ウォーターズですよね」
編集長は、怪訝な顔をしてななみを見た。
「お前は、妙に俺とかぶるところがあるな。実はストーカーなんじゃないか」
「違いますよ。その『半身』って本、結構読まれてるはずです。確かなんかのランキングで一位だったし」
「なんかって何だ。へえ、でもそれは知らなかったな。確かに面白い」
そう言いいながら、また本に視線を向ける。
ななみは、その姿をじっと見た。それに気づいたのか、編集長がなんだ、と呟く。
「あの、堂々とその…音楽と離れた本を読むのってどうなんですか」
そんなに堂々とさぼっていていいんですか、という意味で、つい言ってしまった。
「はあ?俺くらいになると、何でも仕事の肥しになるんだよ。俺がこれ読んでたの覚えとけよ」
「はい…」
見れば、編集長の机の上には本が山積みされている。ほとんどが小説だ。音楽関連のタイトルはないように見える。
(肥しね…)
なんとも腑に落ちぬまま、ななみは、自分のデスクに戻った。
「ななちゃん。例のあれ、入手したわよ」
「へ?あれ?」
昼休憩から帰ってきたななみに、こずえが言った。
「あれ、というと…」
「マシュー対編集長のインタビュー」
ななみは目を見開いた。
「本当ですか」
思わずこずえに詰め寄ってしまう。昨日、件のマシューのインタビューが応接室で行われたのだ。
「ねえ、今、編集長がいないから聞いちゃおう」
こずえは、カセットレコーダーとカセットテープを持って机に置いた。スマホで何でも事足りるものだが、インタビューにカセットを使うタイプはいる。アナログだが、テープ起こしが楽ということがあるらしい。
カチャッと音を立てて、再生ボタンをこずえは押した。ななみとこずえでイヤホンを片方ずつして、聞く体勢になる。
型どおりの挨拶がすみ、編集長が来月発売のCDアルバムのことこから切り出した。
『アルバムタイトルは【驟雨】。成瀬巳喜男監督の映画と同じタイトルですが、何か影響を受けて?』
『…はい』
間があった。普通だったらミュージシャンが、こんな感じで影響を受けた、と喋るところを、マシューは、はい、としか言わない。マシューはこのインタビューでもいつもの寡黙なスタイルを貫くつもりらしい。
『夫婦の倦怠感を描いた映画ですよね。確かにこのアルバム、切ない曲が多くてハッピーなものは少ない。あえて閉塞感というか、閉じたものに興味があったんですか』
『そういうわけでも』
『では、【驟雨】の言葉の響きとか、漢字のデザインが好きだった』
少し、間があいた。
『そうですね』
否定されないだけマシだが、この調子だと編集長が推測する、それに答える。このパターンになりそうだ。インタビューとしては、いい方向では、ない。
編集長は、どう対応するんだろう、とななみは心配になった。
『真山さんの歌詞を見れば、言葉が好きなのは皆わかると思うんです。こんな機会に喋るのは苦手でも』
『…』
答えなかったが、苦笑いでもしているのかもしれない。
『あなたの歌詞は、とても饒舌だ。言葉の選び方も丁寧だし、何よりも歌との融合性がすごい。よくこんなメロディにこの歌詞を乗せたな、と驚くことが多いです』
『そうですか…』
このままだと何かが発展したり、化学反応も起こりそうもない。手詰まり感が出てくるのでは、とななみは気をもんだ。
『あなたの言葉がどんなところから出てくるのか知りたくてね。こんなものを発掘してきました』
『あ』
マシューが息を飲むのがわかった。
『それ、ひょっとして』
『そう。あなたがCDデビュー前に書いていたフリーペーパー。十枚くらいあるけど、ほとんどが読書レビューですね』
『こんなもの…僕だって持ってない。よく探してきましたね』
ななみはこずえと目を合わせた。マシューが、しゃべった!
『蛇の道はなんとやらですよ。それにしても読書傾向が多岐に渡っていますね。ミステリーからノンフィクション、映画評に俳優論』
『節操がなくて』
『そうですか。しかし、実際にレビューにあげてある本を読んだら、傾向はあるな、と思いましたよ』
『…今、レビューの本を読んだ、って言いました?』
マシューの声から驚きが伝わってくる。フリーペーパーの枚数からいくと十冊弱は読んだことになる。
『ええ。入手できるものは、ほとんど。サラ・ウォーターズの【半身】とか面白かったですね』
あっ、とななみは声をあげた。この間の仕事中の読書。あれはこのインタビューのためだったのだ。
『仕事で、サラ・ウォーターズの話ができるなんて思わなかったな』
明らかに、マシューの言葉に嬉しさがにじみ出ていた。風向きが変わった。ななみは思わず前のめりになった。それから、本の話で盛り上がり、マシューも言葉軽やかに話していた。
こんなマシュー、きっと誰も見たこと、ないはず。
ななみは、心が踊った。すごい、やっぱり編集長ってすごいんだ。
『そうすると、やっぱり子供の頃から物語や、想像することが好きだった?』
本の話の流れで、編集長がするっと聞いた。
『そうですね…妄想好きな子供だったかな』
くすっとマシューが笑って言った。好感触だ。マシュー自身がこのインタビューを楽しんでいる。
しかし、次の一手でまた空気が張りつめた。編集長がこう言ったのだ。
『じゃあ、【メアリー】の歌詞はどうだったのかな』
がたたっ、と椅子の音がした。
『すみません、【メアリー】の話は、ちょっと』
マシューの隣にいたらしい、マネージャーの声が聞こえた。
『…』
マシューが押し黙ってしまった。また振り出しにもどるのか、とななみは思わずにはいられなかった。
しかし、編集長は、それを全く気にもせずに言った。
『ご安心ください。巷で騒がれてるグラビアアイドルの売名行為の話なんか、するつもりはありませんよ』
『いや、しかし』
マネージャーの声が硬い。編集長はマネージャーの声を遮るようにして言った。
『もとはと言えば、一部のファンが、【メアリー】は、真山さんの元カノなんじゃないか、と騒ぎ出したのがいけなかった』
『…』
マシューは答えない。何か考えているのだろうか。
『はっきり言いますけどね。真山さん、【メアリー】は元カノでもなんでもないでしょう?そんな女性、存在しない』
『えっ』
マネージャー氏が意外そうな声を出す。想定外の切り込み方だったらしい。
『歌がリアルだから、その歌のモチーフの女性は実在する。なんとまあ、のんきな意見だ。正直、短絡過ぎて腹が立ちますよ。真山さんは、最初は俳優志望でだったんですよね』
『…そうです』
『子供の頃から想像や妄想が好きだった。そして俳優志望だったあなたに、誰かになりきることは難しくないはず。恋人に先立たれた男の悲しみを歌うことは、真山さんの実力では、充分できることだ』
『…』
マシューは黙っている。
編集長が、本を片手にマグカップを持ち上げ、すぐにおろした。
あ、カップがカラなんだ。ななみは立ち上がり、コーヒーを入れた。
「編集長、コーヒーです」
「ああ、悪い」
本から目を離さずに言う。そんなに面白いのか、と本を見ると、ななみも読んだことのある海外ミステリーだった。
「それ、知ってます。サラ・ウォーターズですよね」
編集長は、怪訝な顔をしてななみを見た。
「お前は、妙に俺とかぶるところがあるな。実はストーカーなんじゃないか」
「違いますよ。その『半身』って本、結構読まれてるはずです。確かなんかのランキングで一位だったし」
「なんかって何だ。へえ、でもそれは知らなかったな。確かに面白い」
そう言いいながら、また本に視線を向ける。
ななみは、その姿をじっと見た。それに気づいたのか、編集長がなんだ、と呟く。
「あの、堂々とその…音楽と離れた本を読むのってどうなんですか」
そんなに堂々とさぼっていていいんですか、という意味で、つい言ってしまった。
「はあ?俺くらいになると、何でも仕事の肥しになるんだよ。俺がこれ読んでたの覚えとけよ」
「はい…」
見れば、編集長の机の上には本が山積みされている。ほとんどが小説だ。音楽関連のタイトルはないように見える。
(肥しね…)
なんとも腑に落ちぬまま、ななみは、自分のデスクに戻った。
「ななちゃん。例のあれ、入手したわよ」
「へ?あれ?」
昼休憩から帰ってきたななみに、こずえが言った。
「あれ、というと…」
「マシュー対編集長のインタビュー」
ななみは目を見開いた。
「本当ですか」
思わずこずえに詰め寄ってしまう。昨日、件のマシューのインタビューが応接室で行われたのだ。
「ねえ、今、編集長がいないから聞いちゃおう」
こずえは、カセットレコーダーとカセットテープを持って机に置いた。スマホで何でも事足りるものだが、インタビューにカセットを使うタイプはいる。アナログだが、テープ起こしが楽ということがあるらしい。
カチャッと音を立てて、再生ボタンをこずえは押した。ななみとこずえでイヤホンを片方ずつして、聞く体勢になる。
型どおりの挨拶がすみ、編集長が来月発売のCDアルバムのことこから切り出した。
『アルバムタイトルは【驟雨】。成瀬巳喜男監督の映画と同じタイトルですが、何か影響を受けて?』
『…はい』
間があった。普通だったらミュージシャンが、こんな感じで影響を受けた、と喋るところを、マシューは、はい、としか言わない。マシューはこのインタビューでもいつもの寡黙なスタイルを貫くつもりらしい。
『夫婦の倦怠感を描いた映画ですよね。確かにこのアルバム、切ない曲が多くてハッピーなものは少ない。あえて閉塞感というか、閉じたものに興味があったんですか』
『そういうわけでも』
『では、【驟雨】の言葉の響きとか、漢字のデザインが好きだった』
少し、間があいた。
『そうですね』
否定されないだけマシだが、この調子だと編集長が推測する、それに答える。このパターンになりそうだ。インタビューとしては、いい方向では、ない。
編集長は、どう対応するんだろう、とななみは心配になった。
『真山さんの歌詞を見れば、言葉が好きなのは皆わかると思うんです。こんな機会に喋るのは苦手でも』
『…』
答えなかったが、苦笑いでもしているのかもしれない。
『あなたの歌詞は、とても饒舌だ。言葉の選び方も丁寧だし、何よりも歌との融合性がすごい。よくこんなメロディにこの歌詞を乗せたな、と驚くことが多いです』
『そうですか…』
このままだと何かが発展したり、化学反応も起こりそうもない。手詰まり感が出てくるのでは、とななみは気をもんだ。
『あなたの言葉がどんなところから出てくるのか知りたくてね。こんなものを発掘してきました』
『あ』
マシューが息を飲むのがわかった。
『それ、ひょっとして』
『そう。あなたがCDデビュー前に書いていたフリーペーパー。十枚くらいあるけど、ほとんどが読書レビューですね』
『こんなもの…僕だって持ってない。よく探してきましたね』
ななみはこずえと目を合わせた。マシューが、しゃべった!
『蛇の道はなんとやらですよ。それにしても読書傾向が多岐に渡っていますね。ミステリーからノンフィクション、映画評に俳優論』
『節操がなくて』
『そうですか。しかし、実際にレビューにあげてある本を読んだら、傾向はあるな、と思いましたよ』
『…今、レビューの本を読んだ、って言いました?』
マシューの声から驚きが伝わってくる。フリーペーパーの枚数からいくと十冊弱は読んだことになる。
『ええ。入手できるものは、ほとんど。サラ・ウォーターズの【半身】とか面白かったですね』
あっ、とななみは声をあげた。この間の仕事中の読書。あれはこのインタビューのためだったのだ。
『仕事で、サラ・ウォーターズの話ができるなんて思わなかったな』
明らかに、マシューの言葉に嬉しさがにじみ出ていた。風向きが変わった。ななみは思わず前のめりになった。それから、本の話で盛り上がり、マシューも言葉軽やかに話していた。
こんなマシュー、きっと誰も見たこと、ないはず。
ななみは、心が踊った。すごい、やっぱり編集長ってすごいんだ。
『そうすると、やっぱり子供の頃から物語や、想像することが好きだった?』
本の話の流れで、編集長がするっと聞いた。
『そうですね…妄想好きな子供だったかな』
くすっとマシューが笑って言った。好感触だ。マシュー自身がこのインタビューを楽しんでいる。
しかし、次の一手でまた空気が張りつめた。編集長がこう言ったのだ。
『じゃあ、【メアリー】の歌詞はどうだったのかな』
がたたっ、と椅子の音がした。
『すみません、【メアリー】の話は、ちょっと』
マシューの隣にいたらしい、マネージャーの声が聞こえた。
『…』
マシューが押し黙ってしまった。また振り出しにもどるのか、とななみは思わずにはいられなかった。
しかし、編集長は、それを全く気にもせずに言った。
『ご安心ください。巷で騒がれてるグラビアアイドルの売名行為の話なんか、するつもりはありませんよ』
『いや、しかし』
マネージャーの声が硬い。編集長はマネージャーの声を遮るようにして言った。
『もとはと言えば、一部のファンが、【メアリー】は、真山さんの元カノなんじゃないか、と騒ぎ出したのがいけなかった』
『…』
マシューは答えない。何か考えているのだろうか。
『はっきり言いますけどね。真山さん、【メアリー】は元カノでもなんでもないでしょう?そんな女性、存在しない』
『えっ』
マネージャー氏が意外そうな声を出す。想定外の切り込み方だったらしい。
『歌がリアルだから、その歌のモチーフの女性は実在する。なんとまあ、のんきな意見だ。正直、短絡過ぎて腹が立ちますよ。真山さんは、最初は俳優志望でだったんですよね』
『…そうです』
『子供の頃から想像や妄想が好きだった。そして俳優志望だったあなたに、誰かになりきることは難しくないはず。恋人に先立たれた男の悲しみを歌うことは、真山さんの実力では、充分できることだ』
『…』
マシューは黙っている。