Stayhere! 上司は××××で御曹司
古いマンションで、オートロックではなかった。ななみは、編集長の部屋の前で深呼吸し、インターフォンを鳴らした。
ドアの向こう側の気配がなかった。買ってきたものをドアノブにぶら下げて帰ろうか、とドアノブに触れるとふっとドアが開いた。
「え…北条か。どうした」
パジャマにカーディガンを羽織った編集長が立っていた。髪の毛がぼさぼさだ。思いっきり寝起きなのがわかる。
目がとろん、としていて、顔も赤い。
「…熱があるんですね」
「ああ、うつるから帰れ」
息を切らしながら言う。言葉にいつもの勢いがない。
「ダメです。一人でいちゃ。おかゆ、作ります」
ふらふらの編集長を見たら、ななみはふっきれた。多少強引でも、編集長に何か食べさせて薬を飲ませないと。ななみは玄関で靴を脱ぎ、部屋にあがった。
「編集長は寝ててください」
ぼんやりしてるのか、ふらふらしながら、編集長は、部屋の奥に行った。そしてベッドに横たわった。お前は帰れ、とか何とか押し問答をするかも、と想像していたので、それよりはあっさりとベッドに入ってくれた。かなり、しんどいのかも。
キッチンに立つ前に、さっと編集長の部屋を見回す。リビングの奥に引き戸があり、そこを寝室にしてある。今は戸が開けられていて、編集長の寝姿も見える。
リビングの壁は一面は背の高い本棚だった。ぎっちり本とCDが詰まっていて、すごいボリュームだ。衣類や食器類は部屋の中に散らばっていなかった。ちゃんと収納しているのだろう。
本と、CDと紙の資料だけが、テーブルや床に散乱していた。特にパソコンの乗った大きな机の脇に、ひとかたまりの本と紙の束があった。マシューの記事の切り抜きがその辺りに何枚もある。これがマシュー関連のものなんだろう。これだけの量を読んで、吟味して、調べて…さらに、「rock:of」の編集作業がある。マシューのインタビュー前の数日は、ほとんど寝てなかったかもしれない。
そんなことも気づけなかった…部下失格だな。
自分を叱咤しながら、キッチンでおかゆを作り始める。りんごもすりおろした。目が覚めてお腹がすいたら食べれるようにポトフも用意する。
しばらくすると、おかゆができあがり、戸棚から器を拝借して、ついだ。れんげと一緒にお盆に乗せて、寝室へ行く。
「編集長。…起きてください。何か食べないと薬が飲めません」
ななみが言うと、編集長は夢うつつ、という感じで、ぼんやりした顔で起き上がった。おかゆを差し出され、何を言うでもなく、口にいれる。嫌いな味ではなかったようで、おかゆは、ほとんどなくなった。
ほっとして、ななみは薬を差し出した。
「ああ…ありがとう」
そう言って編集長は、薬を飲むと、ぱたっと枕に頭をのせた。あっという間に眠ってしまう。
静かに寝入っているところを見ると、いつものへらず口をたたく編集長とは別人みたいだ。
寝てると小さな男の子みたいでかわいいな…。
ふっとそんな感情がわいた。ぱあっとななみは赤くなった。寝顔を見てかわいい、なんて。ベタだ。ベタ過ぎる。
そりゃあ、今までも編集長をかわいいと思ったことは何回かあったけど。こんな、寝込み襲いますよ的な状況だと勝手が違う。
急に、編集長の部屋に二人きりでいる、という現実が身に迫ってきた。
努めて、冷静になろうとする。
とにかく、解熱剤は飲ませられたんだから。私のミッションは終わった。後は…
編集長の顔を見ると、まだ息遣いが苦しそうにも見える。
夜中に起きて、ポトフを温められるだろうか。いや、ポトフの存在にも気づかないかも。
ななみは時計を見て、もう少しいてあげよう…という気になった。
目が覚めた時、なんでベッドで寝てないんだっけ、とななみは思った。辺りを見回し、ここが編集長の部屋だったことを思い出す。窓からは朝の光が差し込んでいる。
嘘!私、編集長の部屋に泊っちゃった!
慌ててスマホを見ると、かよからのラインが十数回きていて、着信も3回あった。寝ている編集長を起こすまいと、マナーモードにしていたのが仇になった。
昨日の夜の十時頃までの記憶はある。編集長が起きたらポトフを、と構えていたらそんな時間になり、ちょっとだけ眠くなった。それで編集長の寝るベッドにうつ伏せになるようにして少し寝た。近所なんだから起きたら帰ればいいや…と思い、目覚めたら朝だった。
「おう、起きたか」
言われてみれば、ベッドの主は寝ていなくて、いつの間にかななみの後ろに立っていた。
髪の毛は昨日ほど、ぼさぼさじゃなかった。何より、顔がもう赤くない。
「編集長、熱下がったんですか」
「そうだな。誰かさんの解熱剤のおかげだろうな」
「よかった…」
ななみは、心底ほっとした。帰りづらかったのは、編集長がいつまでも熱っぽかったからでもある。編集長が言った。
「鍋にあった料理、食ってもいいか」
あ、とななみは立ち上がり、あたためます、とキッチンに急いだ。
「二人分あるなら、お前も食べて行け」
ポトフは鍋にたっぷり仕込んであった。そう言われると、お腹もすいている。
「じゃ、じゃあ…遠慮なく」
「お前が作ったんだろ。遠慮も何もないだろう」
ははっと編集長が笑った。いつもの調子だ、とななみは嬉しくなった。湯気の立つ皿をお互いの目の前に置いて、二人だけの朝食が始まった。
「昨日は、いつ頃から来てたんだ」
「えっと、18時半くらいから…」
「そんなにか。よっぽど俺の部屋は居心地がいいんだな」
「編集長が大丈夫か気が気じゃなくて、いつの間にか時間」
時間が経っちゃって、と言いそうになって、口をつぐむ。恩着せがましい気がするし、私はあなたのことが心配なんです、と告白したようになってしまう。
「どうせ、マスクドキングの事でも考えてたんだろう」
思いがけない言葉だった。てっきり編集長はマスクドキングが嫌いなのだと思っていた。なのに、こうして話題を振ってくれたのが意外だった。ななみとしては、告白にならないようにこの話題に乗るしかない。
「そうなんです。もうすぐライブがあるんで、楽しみだなあって」
「ふん。…あのレビューはいただけないが…あの表現はよかった。『まるできつく縛ったリボンがほどかれるように心が開いていった』」
「あ…ありがとうございます」
書いた文章で、編集長に褒められるのは初めてだった。心に刻もう、と思いながら、ふと気づく。ひょっとして風邪を看病したことへの御礼がわりなのかも。いつも編集長が言っている「音楽も文章もエンタメはサービス精神だ」という信条が活かされている。
編集長らしいな、と思いながらポトフを食べた。編集長は、ぼそっと「美味いな、これ」とポトフの事も褒めてくれた。
食べ終わると、てきぱきと編集長は動き出した。ななみがいるのも構わず、シャワーを浴びに行く。ななみも一旦、部屋に帰って出社することにした。遅刻はしないですみそうだ。
じゃあ、先に出ます、と声をかけて玄関に向かおうとした時だった。
リビングの棚の引き出しから、何か布が出ていた。
ななみの目は、釘付けになった。
この色、といい、大きさといい…
どうしても、全体像が見たくなり、ななみは少しだけ引き出しを開けて、その布を引っ張り出した。
どくん、と胸が鳴った。
それは、ななみのようく知っているものだった。黒に近い紺色で細長い布。布の端にKと刺繍してある。そして、二つの穴があいている。
まごうことなき、アイマスク。しかもマスクドキングのソウがしているマスク、そのものだった。
「北条、何固まって…」
シャワーを浴びた後のTシャツとスゥェット姿の編集長がななみの後ろから声をかけた。
ドアの向こう側の気配がなかった。買ってきたものをドアノブにぶら下げて帰ろうか、とドアノブに触れるとふっとドアが開いた。
「え…北条か。どうした」
パジャマにカーディガンを羽織った編集長が立っていた。髪の毛がぼさぼさだ。思いっきり寝起きなのがわかる。
目がとろん、としていて、顔も赤い。
「…熱があるんですね」
「ああ、うつるから帰れ」
息を切らしながら言う。言葉にいつもの勢いがない。
「ダメです。一人でいちゃ。おかゆ、作ります」
ふらふらの編集長を見たら、ななみはふっきれた。多少強引でも、編集長に何か食べさせて薬を飲ませないと。ななみは玄関で靴を脱ぎ、部屋にあがった。
「編集長は寝ててください」
ぼんやりしてるのか、ふらふらしながら、編集長は、部屋の奥に行った。そしてベッドに横たわった。お前は帰れ、とか何とか押し問答をするかも、と想像していたので、それよりはあっさりとベッドに入ってくれた。かなり、しんどいのかも。
キッチンに立つ前に、さっと編集長の部屋を見回す。リビングの奥に引き戸があり、そこを寝室にしてある。今は戸が開けられていて、編集長の寝姿も見える。
リビングの壁は一面は背の高い本棚だった。ぎっちり本とCDが詰まっていて、すごいボリュームだ。衣類や食器類は部屋の中に散らばっていなかった。ちゃんと収納しているのだろう。
本と、CDと紙の資料だけが、テーブルや床に散乱していた。特にパソコンの乗った大きな机の脇に、ひとかたまりの本と紙の束があった。マシューの記事の切り抜きがその辺りに何枚もある。これがマシュー関連のものなんだろう。これだけの量を読んで、吟味して、調べて…さらに、「rock:of」の編集作業がある。マシューのインタビュー前の数日は、ほとんど寝てなかったかもしれない。
そんなことも気づけなかった…部下失格だな。
自分を叱咤しながら、キッチンでおかゆを作り始める。りんごもすりおろした。目が覚めてお腹がすいたら食べれるようにポトフも用意する。
しばらくすると、おかゆができあがり、戸棚から器を拝借して、ついだ。れんげと一緒にお盆に乗せて、寝室へ行く。
「編集長。…起きてください。何か食べないと薬が飲めません」
ななみが言うと、編集長は夢うつつ、という感じで、ぼんやりした顔で起き上がった。おかゆを差し出され、何を言うでもなく、口にいれる。嫌いな味ではなかったようで、おかゆは、ほとんどなくなった。
ほっとして、ななみは薬を差し出した。
「ああ…ありがとう」
そう言って編集長は、薬を飲むと、ぱたっと枕に頭をのせた。あっという間に眠ってしまう。
静かに寝入っているところを見ると、いつものへらず口をたたく編集長とは別人みたいだ。
寝てると小さな男の子みたいでかわいいな…。
ふっとそんな感情がわいた。ぱあっとななみは赤くなった。寝顔を見てかわいい、なんて。ベタだ。ベタ過ぎる。
そりゃあ、今までも編集長をかわいいと思ったことは何回かあったけど。こんな、寝込み襲いますよ的な状況だと勝手が違う。
急に、編集長の部屋に二人きりでいる、という現実が身に迫ってきた。
努めて、冷静になろうとする。
とにかく、解熱剤は飲ませられたんだから。私のミッションは終わった。後は…
編集長の顔を見ると、まだ息遣いが苦しそうにも見える。
夜中に起きて、ポトフを温められるだろうか。いや、ポトフの存在にも気づかないかも。
ななみは時計を見て、もう少しいてあげよう…という気になった。
目が覚めた時、なんでベッドで寝てないんだっけ、とななみは思った。辺りを見回し、ここが編集長の部屋だったことを思い出す。窓からは朝の光が差し込んでいる。
嘘!私、編集長の部屋に泊っちゃった!
慌ててスマホを見ると、かよからのラインが十数回きていて、着信も3回あった。寝ている編集長を起こすまいと、マナーモードにしていたのが仇になった。
昨日の夜の十時頃までの記憶はある。編集長が起きたらポトフを、と構えていたらそんな時間になり、ちょっとだけ眠くなった。それで編集長の寝るベッドにうつ伏せになるようにして少し寝た。近所なんだから起きたら帰ればいいや…と思い、目覚めたら朝だった。
「おう、起きたか」
言われてみれば、ベッドの主は寝ていなくて、いつの間にかななみの後ろに立っていた。
髪の毛は昨日ほど、ぼさぼさじゃなかった。何より、顔がもう赤くない。
「編集長、熱下がったんですか」
「そうだな。誰かさんの解熱剤のおかげだろうな」
「よかった…」
ななみは、心底ほっとした。帰りづらかったのは、編集長がいつまでも熱っぽかったからでもある。編集長が言った。
「鍋にあった料理、食ってもいいか」
あ、とななみは立ち上がり、あたためます、とキッチンに急いだ。
「二人分あるなら、お前も食べて行け」
ポトフは鍋にたっぷり仕込んであった。そう言われると、お腹もすいている。
「じゃ、じゃあ…遠慮なく」
「お前が作ったんだろ。遠慮も何もないだろう」
ははっと編集長が笑った。いつもの調子だ、とななみは嬉しくなった。湯気の立つ皿をお互いの目の前に置いて、二人だけの朝食が始まった。
「昨日は、いつ頃から来てたんだ」
「えっと、18時半くらいから…」
「そんなにか。よっぽど俺の部屋は居心地がいいんだな」
「編集長が大丈夫か気が気じゃなくて、いつの間にか時間」
時間が経っちゃって、と言いそうになって、口をつぐむ。恩着せがましい気がするし、私はあなたのことが心配なんです、と告白したようになってしまう。
「どうせ、マスクドキングの事でも考えてたんだろう」
思いがけない言葉だった。てっきり編集長はマスクドキングが嫌いなのだと思っていた。なのに、こうして話題を振ってくれたのが意外だった。ななみとしては、告白にならないようにこの話題に乗るしかない。
「そうなんです。もうすぐライブがあるんで、楽しみだなあって」
「ふん。…あのレビューはいただけないが…あの表現はよかった。『まるできつく縛ったリボンがほどかれるように心が開いていった』」
「あ…ありがとうございます」
書いた文章で、編集長に褒められるのは初めてだった。心に刻もう、と思いながら、ふと気づく。ひょっとして風邪を看病したことへの御礼がわりなのかも。いつも編集長が言っている「音楽も文章もエンタメはサービス精神だ」という信条が活かされている。
編集長らしいな、と思いながらポトフを食べた。編集長は、ぼそっと「美味いな、これ」とポトフの事も褒めてくれた。
食べ終わると、てきぱきと編集長は動き出した。ななみがいるのも構わず、シャワーを浴びに行く。ななみも一旦、部屋に帰って出社することにした。遅刻はしないですみそうだ。
じゃあ、先に出ます、と声をかけて玄関に向かおうとした時だった。
リビングの棚の引き出しから、何か布が出ていた。
ななみの目は、釘付けになった。
この色、といい、大きさといい…
どうしても、全体像が見たくなり、ななみは少しだけ引き出しを開けて、その布を引っ張り出した。
どくん、と胸が鳴った。
それは、ななみのようく知っているものだった。黒に近い紺色で細長い布。布の端にKと刺繍してある。そして、二つの穴があいている。
まごうことなき、アイマスク。しかもマスクドキングのソウがしているマスク、そのものだった。
「北条、何固まって…」
シャワーを浴びた後のTシャツとスゥェット姿の編集長がななみの後ろから声をかけた。