繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「少し気にはなったんですけど……、聞いてもいいですか?」
「なんでも」
「あの……お付き合いされてたんですか? 彼女と。私のこと、猪川さんの彼女かって、気にされてたし」

 穏便に暮らしたい奈江にとって、嫉妬されるのはあまり好ましい状況ではない。そういう経験は全然ないけれど、嫉妬の怖さは知っているつもりだ。

「やっぱり、そう見えるんだな。よく言われるんだけどさ、温美とは付き合ってないし、過去に付き合ったこともない。俺たちは似た者同士で、馬が合ったんだろうな。友だちとも違うし、腐れ縁ってやつかな」

 それはそれで羨ましいような気がする。馬の合う仲間なんて、奈江にはいない。

「似た者同士って?」
「温美もさ、両親がいないんだ」

 あっけらかんと、彼は答える。その共通点が彼らの絆なのだろう。隠し立てする必要も感じないぐらい、彼らはそれがあたりまえの世界で生きているのだ。

「亡くなられたんですか?」

 おずおずと尋ねると、秋也はそっと首を振る。

「温美の場合は、親の離婚。父親は再婚して、母親は行方知れず。温美は祖父母に引き取られてさ、俺と出会った時はずいぶん荒れてたよ。そんな温美を救ったのが、俺の恩師」
「恩師って、高校の?」
「そう、平宮(ひらみや)達志(たつし)。三年間ずっと俺の担任で、ずいぶん世話になった人なんだ。あいつは大学出立ての若い教師でさ、嫌になるぐらいまっすぐで、静かな情熱を燃やすやつだった」

 あいつ……?

 奈江は口もとに運ぶカップを下げて、秋也の横顔を見上げる。彼はどこか遠い目をして、コーヒーカップの水面を見つめている。

「……その先生は?」
「ああ、死んだ。温美が高校3年の、秋に。俺に関わったばっかりに、あいつは死んだんだ」
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