繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 大学へ行くと決めてから、平宮は授業後、毎日秋也のために補習を行った。勉強してなんになるんだとバカにするやつはいたが、平宮は『人生の選択肢を間違えるな』としか言わなかった。

 間違えるなと言われても、それしか選べない選択肢がある。秋也はどこか冷めていて、話半分に聞いていたが、今なら言えるだろう。

 選択肢を間違えたのは、平宮じゃないのか? と。

 高校2年の冬、平宮は国立大学の夜間部を受験したらどうかと提案してきた。授業料は安いし、寮もある。アルバイトを続けながら学べるし、学歴も手に入る。今の秋也にとって、選択肢が最大限増える方法だと笑顔を見せた。

 その笑顔が疲れ切っていると気づいたときにはもう遅かったのかもしれない。

 受験を控えたある日、立ちあがろうとした平宮は、背中を丸めて机にうつ伏せた。

『具合が悪いのか?』

 リュックを背負いながら、秋也は尋ねた。

『最近、ちょっと背中が痛くてな。年かな』
『いくつだよ』

 あきれると、平宮は笑った。

『冗談だよ。おまえの受験が終わるまでは倒れてられないからな』
『俺より必死だな』

 秋也はますますあきれたが、自分のために一生懸命になる平宮の期待に応えたい一心で、補習は欠かさずに参加した。

 無事に大学合格が決まると、平宮は誰よりも喜んだ。涙ぐんで、『頑張ってよかったな』と肩を叩いてきた。その手の力が、意外にも弱々しくて驚いたことを、今でも覚えている。

 ある日、吉沢らんぷでアルバイトする秋也のもとへ、矢崎温美がやってきた。
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