繊細な早坂さんは楽しむことを知らない



「それからしばらくして、あいつが学校を辞めたって聞いた」

 落胆を隠せない様子で、秋也はぽつりとつぶやく。

「温美さんが原因ですか?」

 奈江は問う。

「そう思ってた、俺は」
「違うんですか?」

 秋也はこちらに目を移すと、そっと笑む。頼りなくて、悲しそうな目をしている。
 
「温美に呼び出されて、あいつに会いに行った。ベッドで仰向けになるあいつの……、点滴のつながるあいつの手を、温美が握りしめてた」
「……入院されてたの?」

 奈江は表情をくもらせて、彼の話に耳を傾ける。

「胃がんだった。俺はすぐに思い出したよ。あいつが、背中が痛いって弱音を吐いたことを。もしかしたらって、今でも思う。あのとき、病院に行ってたらって、何度も悔やんだ。あいつは時々具合が悪そうで、忙しさのせいにしてたけど、俺がしつこく病院に行けって言ってたら、死ななかったかもしれない。いや、違う。俺が大学に行きたいなんて言わなきゃ、あいつは無理なんかしなかったし、まだ生きてたかもしれない」
「猪川さん……」

 奈江は首を振る。

 それは違う。秋也のせいじゃない。

「あいつ……、死ぬのは怖いって言ったんだ……」

 前髪をくしゃりとつかむ秋也の腕に、奈江はたまらずそっと手を置く。

 どうなぐさめたらいいかわからない。なぐさめが必要かもわからない。けれど、秋也はホッとしたような表情で、手を重ねてくる。

「平宮と温美はさ、兄妹だったんだ」
「え、兄妹?」

 意外な話に驚く。

「腹違いの兄妹。平宮は知ってたんだ。父親の再婚相手の子どもの名前を。だから、温美に兄かも知れないって名乗り出たらしい。温美は祖母に確認して、平宮が間違いなく兄だってわかってうれしかったそうだ。それから、学校が休みの日は平宮と出かけたり、アパートで会ってたらしい。誤解されてもいいから、一緒にいたかったって言ってたよ」
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