繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 康代の足が治るまでのひと月、奈江は好んでマメの散歩に出かけた。ルートは決まっていた。康代の家の東側には、春になると桜が美しく咲き乱れる大野川がある。その川沿いを北に向かって歩き、宮原(みやはら)神社にたどり着くと引き返してくるのだ。

 宮原神社から駅前商店街は近い。ちょうど神社と康代の家の間ぐらいの距離にある彼岸(ひがん)橋で、奈江は遥希と合流する。最初の頃は、「また会ったね」と偶然を喜んで笑顔を見せてくれた彼も、次第に時間を合わせてくれるようになった。

 それはマメを気に入るシェードのためだったかもしれないが、当時の奈江は、穏やかな空気をまとうような優しい雰囲気の遥希に淡い恋心があり、彼にもまた自分に対してそんな風な気持ちがあるんじゃないかなんて、今思えば、大それたことを期待していた。

 しかし、奈江は内向的で、彼の名前と駅前商店街の近くにある吉沢らんぷの息子という情報以外、彼のことを知ろうとはしなかった。両想いだとうれしいなという期待はしていても、恋人同士になりたいとかいう現実的な未来の期待はしていなかったのだ。

 夏休みが終わると、奈江は実家に戻り、遥希に会うことはなくなった。翌年の夏も、遊びにおいでと誘ってくれる康代に甘え、大野の家に何度か泊まったが、彼に会うことはなかった。きっと、大学生になったか就職したかの彼は大野を離れたのだろう。
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