繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 秋也に初めて出会ったあの日、奈江は仕事に疲れていて、悲観的だった。毎日毎日、同じ作業の繰り返し。生きる楽しみもなくて、死んでも後悔はないと思った。だから、ホームに入ってくる電車に魅入られた。死んでもかまわない。そう思った瞬間、横から伸びてきた腕に助けられた。

 秋也は、ずっと見ていた、と言った。具合が悪いのではなく、死んでもいいと思っていた奈江を見ていた。

 今でもデートに誘ってくれたりしてかまうのは、死んでしまうかもしれない奈江から目を離せなくて、なのだろう。そう考えれば、腑に落ちる。

「生まれたら、死ぬまで生きるだけなんですよね。その、『だけ』が難しい。早坂さんもそう思わないですか?」

 環生はこちらをじっと見つめてくる。まるで、すべてを見透かすような目をするのだ、彼は。いや、彼にはすべてが見えている。だから、奈江はうなずく。隠す必要なんてない。

「生きてればいいことあるかな? って、そんなことばかり考えてる」

 いいことは勝手にやってこないのに、ずっと待ってる。待っても待ってもこないから、勝手に失望して、勝手に苦しんでる。秋也は自分で幸せをつかみとりにいったのに、奈江にはそれができていなかった。

「俺も同じですよ」
「私もー」

 温美もあっけらかんと同意する。

「どうせ生きるなら楽しい方がいいって言うやつもいるけど、人生なんて楽しくないもんなんだ。幸せなんて求めるから苦しい。俺はそう思って生きてきたんです。昔はね」
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