繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「主人公になるのは、なんにも怖くないんですよ。そろそろ、人生を楽しんだらどうですか? 早坂さん」

 彼には奈江が人生を楽しんでいないように見えるのだろう。楽しむ方法すら知らないと思っているようだ。だけど、きっと楽しんでいるはずだ。秋也と過ごす時間を。それを環生にどう伝えればいいのかわからなくて、奈江は黙り込む。

「あっ、ねー、今度、宮原神社でお祭りあるんだよね。奈江さん、私と一緒に行かない? 私、お祭り大好きなんだ。一緒に楽しもうよ」

 温美に気をつかわせてしまった。ますます何も言えなくなる奈江を見て、環生がくすりと笑う。

「温美さんさ、祭り当日、予約入れておいてよ」
「突然なによ。カット? ネイル?」
「両方。あと、メイクも」
「メイク? 環生くんの予約じゃないの?」

 後ろの棚に手を伸ばし、予約表らしきファイルをつかむ温美がきょとんとする。

「早坂さんの予約。俺だって、プレゼントしたいんだよ」
「なーに、珍しい。プレゼントなんて」
「秋也さんの喜ぶ顔が見たいからね」
「なんで、秋也くん? まあいいけど、ほんと、環生くんって秋也くんが好きだよね」

 会話についていけず、ミルクティーのストローをくわえる奈江の前で、温美は予約表に『早坂』と書き込んだ。
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