繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「猪川さんに好きって言ってもらえると、自分を好きになれる気がするんです」

 彼が素直だから、自分もそうなれるかもしれない。そんな優しい錯覚をくれる人だ。

「じゃあ、俺たち、お互いに高め合っていけそうだよな」
「高め合うって?」

 秋也はこちらに身体を向ける。自然と奈江も彼と向き合う。

「たとえば、この人とはいろんな価値観が合うから結婚したいって思って夫婦になったとき、お互いは同程度だと思うんだよ。でもさ、人は成長するだろ? 片方が成長するのに片方が変わらないでいたら、いつかほころびが出るんじゃないかって思うんだ。だから、お互いに成長していける人が好きだし、そういう人と結婚したいって思うよ」
「結婚願望があるんですね」
「一生独身でいたいとは思ってないかな。早坂さんは結婚を考えたことはある?」
「私は……」

 奈江は目を伏せて、しばらく黙り込む。

 やはり、彼と恋人関係になったら、結婚がちらつく日は来るのだろう。ただ、秋也の結婚観を垣間見たら、自信がますますなくなった。彼はずっと成長していける人だ。自分がそれについていける自信がない。

「私は」
「うん?」

 秋也はいつもより優しく目尻を下げて、こちらを見つめてくる。奈江の言葉を辛抱強く待ち、どんな言葉であろうとも受け止めようとしてくれているみたいに。だから、奈江はいつも素直に胸の内が明かせるのだと思う。
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