繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
***


 なぜ、吉沢遥希は婚約を破棄したのだろう。

 彼岸橋に立ち、奈江はぼんやりと、春を待つ桜の木の枝を眺める。

 結婚まで考えたふたりなのに、冬の季節が訪れてしまったのだろうか。冬が終わればまた春が来るのに、彼らに春はやってこなかった。

 秋也との未来を憂える必要はないのに、彼らと同じように別れが来るのではないかと、どうしてもそのことが奈江の頭から離れてくれない。

 彼に抱きしめられている間は幸せを感じていられるのに、少しでも離れてしまうと不安になる。でも、やっぱりどうしようもない。いくら、大丈夫だよ、と彼が言ってくれたとしても、これは奈江の性分なのだ。

 康代の自宅へ向かうため、ふたたび、歩き出した奈江は、川沿いを散歩する柴犬を見つけて足を止めた。

 柴犬は、小さな女の子と手をつなぐ母親らしき女の人がつかむリードにつながれていた。

 熱心に女の人へ話しかける、おしゃべりな女の子の方へ首を向けながら、ちょこちょこと歩く柴犬の姿に既視感を覚えた奈江は、じっとそちらを見つめた。

 マメ?

 心の中でそうつぶやき、いるはずのないマメの面影を柴犬と重ねる。

 違う、マメじゃない。あれは……。

 そう思ったとき、女の子が声を張り上げた。

「わたしもシェードのひも、持ちたいーっ」
「シェード……」

 その名を聞いた途端、奈江は駆け出していた。

恵麻(えま)はまだ危ないから、ママと一緒ね」
「えま、できるー」
「シェードがおケガしたら、かわいそうでしょう?」

 リードを引っ張る女の子の手を、やんわりと止める母親の前で、奈江は足を止める。
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