繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「ああ、あなたが。先日はわざわざお野菜を届けてくださったんですよね」

 一気に警戒心を解いた美乃は、柔らかな表情になって、秋也へと目を移す。

「母は近くの喫茶店に行ってるだけだから、すぐ戻ると思いますけど、私でよければ、お話をうかがいましょうか?」
「ありがとうございます。実は、今日は私用で」
「吉沢らんぷさんとは関係ないってことですか?」
「猪川として来ました。不躾にお尋ねしますが、舞花さんの事故の件で」

 美乃のほおがあからさまに引きつったのを、奈江は見逃さなかった。秋也は悪手を打ったのではないか。そう思ったけれど、彼は微塵も動じずに美乃を見つめている。そして、彼女もまた、すぐに表情を崩して、息をつく。

「あの事故のことはお話しないと決めているんです。もう、いくら後悔しても舞花ちゃんは戻らないし、責めても仕方のないことですから」
「御守りのことも?」
「御守り?」
「与野さん、御守りを持ってますよね? 紺色の」
「どうしてそれを?」

 あきらかに戸惑う彼女に、秋也はすんなりと答える。

「知り合いがふしぎな体験をしたんです」
「お知り合いが? ……どんな?」
「10年ほど前に、舞花さんが交通事故から身を守ってくれたと。そのときに御守りはなくしたんだって」
「10年って、そんな……。舞花ちゃんの事故は30年も前の話で……」
「わかっています。ですから、確かめに来ました。知り合いの話が本当かどうか。本当なら、与野さんがお持ちの御守りの中には結婚指輪が入っていると思います」
「結婚指輪? なんの話?」
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