繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「あっ、ごめんなさい。遥希さんに弟さんがいらっしゃるなんて知らなくて」

 そんな話、一度も聞いたことがなかった。打ち解けて話ができる相手のはずだった遥希は、実のところは兄弟がいることすら話さなかったのだ。彼にとっての奈江は、犬の散歩で出会った女の子でしかなかったのだと、まざまざと思い知らされる。

「高校時代の兄さんがどんな生活してたか、俺も秋也さんに聞くまで知らなかったですから、話さなかったとしても無理ないんです。気にしないでください」

 兄弟なのに知らないって、何か事情があるのだろうか。しかし、あまり表情らしい表情を作らない、ミステリアスな青年に質問を投げかける勇気はない。

 それにしても、環生はいくつなのだろう。大学院を卒業したばかりというぐらいだから、25歳前後だろうか。やけに落ち着いている。

「秋也さんからあなたのことはだいたい聞いています。ずっとお会いしてみたかったです」

 いったい、会ってみたいほどの何を聞くのか。奈江は戸惑いながら、おずおずと言う。

「吉沢さんは社長をされてるってうかがってます。猪川さんと一緒に、アプリを学生時代に作られたとか」
「環生でいいです。そうですね。俺は高2でした。秋也さんが面白そうなもの作ってたから、参加させてもらったんです」
「高校生? ……本当に天才なんですね」

 秋也が当時、はたちだったのだから、全然おかしくない話だけれど、やはり、驚きは隠せない。

「天才って、悪くない響きですよね」

 環生は大人びた目で、くすりと笑う。そこは否定したり謙遜したりはしないのだ。自他ともに認める天才なのだろう。

「早坂さん、時間ができそうです。近くにカフェがあるので、行きませんか?」
「えっ? でも……」
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