繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
 唐突な誘いに驚いて、秋也へ目を移す。

 彼はまだ、カウンターの奥で電話をしていた。困った顔をしながら、カレンダーを指差して話し込んでいる。

「秋也さん、きっとこれから仕事ですよ。俺、あまり兄さんのことをよく知らないので、懐かしい話を聞いてみたいんです」

 電話する秋也を横目に、環生はそう言う。

「わかった、すぐ行くよ」

 あきらめに似た秋也の声が聞こえてくる。環生の言う通り、急な仕事が入ったようだ。

「遥希さんのことはあまり知らないんです。仲がいいっていうほどではなかったので」
「じゃあ、今の話をしましょうか」
「今の話って?」
「秋也さんから聞いてる話だけでは、どんな方なのかわからないですから。俺、早坂さんに興味があるんです」
「探究心……ですか?」

 そう尋ねると、環生はおかしそうに目尻を下げ、声を立てて笑う。何だかわからないが、彼の笑いのツボにはまったようだ。

「おもしろいこと言いますね。そうかもしれない。いや、きっとそうです。俺、秋也さんから聞くだけじゃ足りなくて、あなたのことがすごく知りたいんです」

 やけにはっきりとした環生の声が店内に響き渡った途端、秋也が仏頂面でやってくる。

「環生くん、悪い」
「なんですか?」
「照明の調子が悪いから見てほしいってさ。今から行ってくるよ」

 ごめん、と秋也は奈江に目だけで謝る。

「どこに?」
「アルテ」
「ああ、温美(あつみ)さんの美容院」
「すぐ来いってさ。なるべく早く戻るよ。それまで、早坂さんを頼むよ」

 柔らかな黒髪をくしゃくしゃとかき混ぜると、作業着を羽織り、秋也は急いで店を出ていった。
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