Runaway Love
 当日の締めも終わり、後は片付けくらいしかする事が無いような時間に、内線電話は響き渡った。
 あたしは、すぐに受話器を取る。
「はい、経理部、杉崎」
『杉崎主任にお客様がいらしてます』
「――すぐに向かいます」
 受付からの内線なのに、妙に緊張する。
 ――気のせい。ただの、取引先の営業さんだ。
 あたしは、深呼吸して立ち上がった。
「大野さん、星野商店さんの営業さん、いらしたそうです」
「おう、頼んだ」
 大野さんは、チラリとあたしを見やり、一言、そう言った。
 それにうなづくと、部屋を出る。

「杉崎主任」

 そして、エレベーターを待っていると、後ろから声がかかり、あたしは振り返った。
「野口くん?」
「――大丈夫ですか……?何か、様子がおかしい気がしたんで……オレ、代わりに行きましょうか」
 あたしは、無意識に手に力を込めてしまい、慌てて緩める。
 持っていた封筒には、幸い、影響は無かったようだ。
「ありがと……。大丈夫」
 そう言って、無理に口元を上げる。
 けれど、彼には通用しなかった。
「……じゃあ、ついて行きます」
「大丈夫よ」
「でも」
 粘る野口くんを見上げるが、そのまま視線を落とす。
 理由は、言えない。
 ――言いたくない。
 すると、ちょうどエレベーターが到着し、ドアが開いた。
 誰もいない箱に乗り込むが、緊張で震えている足に気がつき、あたしは”開”ボタンを押したまま、野口くんを見上げる。

「――大丈夫。……でも、終業時間を過ぎても戻らなかったら――……迎えに来てくれる……?」

 野口くんは、口元を引き締め、うなづいて返してくれた。
 それだけでも、少しは意識を保てる気がした。


 一階に数秒でたどり着くと、到着音とともにドアが開く。
 受付に顔を向けると、視線が合ったもう一人の受付嬢が、ロビーにその視線を移した。
 あたしは、うなづくと、すりガラスのパーテーションで区切られた一角を見やる。
 映っている姿は、普通のサラリーマンのよう。
 一瞬で、気が抜けた。

 ――何を緊張していたんだろう。
 そんな訳、無いのに。

 ――ただ、封筒を渡すだけ。それで終了。

 あたしは、自分に言い聞かせ、先方の座っていたソファの向かいに行き、挨拶をしようとした。

「お待たせ致しました。経理部の者です。早川か――……」

 不自然に止まってしまったのは、その営業の彼と、視線が合ってしまったから。

「――……あ、れ?……杉崎、さん?奈津美ちゃんのお姉さん(・・・・・・・・・・・)の――」

「――……や……まも……と……先輩……」


 ――考えたくない想像は――現実となって、目の前に現れた。
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