Runaway Love

27

「え、あれ、ここに勤めてたんだ、君」

「――はい。経理部で」

 驚いた顔で、そう言った彼は――確かに、高校の時の先輩。

 ――山本滉太(こうた)先輩だ。

 あたしがうなづくと、山本先輩は、笑顔でうなづいた。
 それだけでも、胸の奥の傷口はうずいていく。
「そっかぁ。あ、せっかくだし、座ってよ」
「で、でも」
「一応、僕、取引先だよ?」
 ニッコリと、なかなか卑怯な手を出す彼に、あたしは心の中で苦る。
「――わかりました。……失礼します」
 そして、あたしが正面のソファに腰を下ろすと、途端に身を乗り出してのぞき込んできたので、思わず引いてしまった。
 背中に当たるソファの感触に、逃げ場が無い事に気づき、あたしは口を開いた。
「あ、あの……」
「いや、高校の時から、雰囲気変わらないなあ、って」
「え」
「相変わらず地味だよね。マスクしてても、そういうのわかるから。隠してるつもりだったの?」
「……そ、そういう訳では……」
 あたしは、先輩から視線をそらす。
 ――相変わらずは、そっちの方だ。
 だが、彼は、そんなあたしの気持ちなど、お構いなしに続ける。
「やっぱり、奈津美ちゃんと正反対だよね。少しは、おしゃれに気を使ってみたら?彼女見習ってさ……って、ああ、でも、無駄な努力かぁ」
 ――やはり、ズケズケと人の心に踏み込むような言い方は、変わっていない。
 徐々に埋め込まれていく棘に、あたしは、身動きが取れなくなる。
 ――……この人に、何を言っても無駄なのは、昔から、わかっていたはずなのに――……。
「あ、ていうか、奈津美ちゃん、元気?彼女が高校卒業してから、連絡途絶えちゃってさ」
「――奈津美は……」
「ちょうど良いや。君、連絡取ってくれない?僕さ、未だに彼女以上の美人に会えてなくてさぁ」
「――先日、結婚しました」
 すると、山本先輩の目がすうっと冷めていくのが、あからさま過ぎて、マスクの中で、苦笑いが浮かんでしまった。
「結婚、したんだ」
「ええ。――ずっと付き合っていた人と」
「――そう。……まあ、でも、良いか」
「……は?」
 その返しに、あたしは目を丸くした。
「結婚したって、連絡しても良いでしょ。それに、ずっと続く保証も無いしね」
 クスクスと笑いながら、テーブルに置かれていた湯呑に手を伸ばす先輩を、あたしは、凝視してしまう。

 ――……何を言ってるの、この人は……。

「……あの、その言い方は……」
 思わずこぼしてしまった言葉を、先輩は拾う。
「え、旦那さん、奈津美ちゃんの交友関係にうるさいんだ?心が狭いね」
 そう言って、彼はチラリとあたしを見やり、湯呑に口をつけた。
 ――……ダメだ。ここは会社だ。
 これ以上、踏み込まれたら――……。
 あたしは、少しだけ息を吐くと、顔を上げた。
「――申し訳ありませんが、用件を済ませても良いでしょうか」
 先輩は、湯呑を置くと、あたしと視線を合わせた。
 何かを見透かすようなその目に、胸が痛い。
「――そうだったね。ごめん、つい懐かしくなって。領収証の件は申し訳なかったよ」
 横柄とも取れる物言いに、唇を無意識に噛んでしまう。
「……一応、ご確認ください」
 封筒を差し出す手が、小刻みに震えるのに気づき、あたしは、すぐに手渡しを止めてテーブルへと置いた。
 先輩は、気にする風でもなく、手に取ると中を確認してうなづく。
「うん、コレ。いつの間に混ざったんだろうね」
「――では、これで失礼いたします」
 これ以上、顔を合わせていたら、何を言われるかわからない。
 そして、それに冷静に対応できるかと言ったら――無理だ。
 あたしが立ち上がろうとすると、不意に手を掴まれた。

「え」

「これから、空いてるでしょ。食事、行かない?」

「――……は?」
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