Runaway Love

36

 野口くんに送ってもらい、あたしは、奈津美の入院している産婦人科に到着した。
 彼を待たせるのも申し訳無いので、今日はここでお別れだ。
「――じゃあ、また明日」
「ええ、ありがとう。気をつけてね」
 そのまま駐車場から出て行く車を見送り、あたしは中に入る。
 二階への階段を上り、スタッフの方に挨拶をして、病室へ向かった。

「あれ、義姉(ねえ)さん」

「――て、照行(てるゆき)くん」

 すると、病室から照行くんが、ちょうど出てきたところだった。
 スーツ姿なので、会社から直行したのかもしれない。
 昔から運動部だったせいか、ガタイは良い。身長も、早川よりちょっと低いくらいだ。
 全体的に人の良さそうな、素朴な雰囲気なので、威圧感はそんなに無いけれど、あたしは未だに慣れない。
「奈津美のお見舞いですか?」
「え、ええ。――何か必要なものがあるかと思って」
「ありがとうございます。でも、今、ちょうど、おれが頼まれたんで、大丈夫ですよ」
「そ、そう。……じゃあ、顔見たら帰るわ」
 あたしは、軽く会釈すると、すぐに病室に入る。
 どうも、照行くんと一対一は苦手だ。
 昔から、ちょくちょく家に遊びに来ている男のコ、というイメージが抜けきれない。
 ――そして、時々、マズい場面に遭遇しそうになり、慌てて逃げた記憶が残っている。
 彼も、岡くんと似ているようで、すぐに奈津美とくっつきたがるし、結構ストレートなのだ。
 父親になるという自覚が出てきたのか、最近は、割と落ち着いているように見えるけれど。
 あたしは、軽くドアをノックすると、そっと、病室に入る。
 すぐに見える左側のカーテンを少しだけ開けると、奈津美は横になって眠っているようだった。
 ベッド脇の丸イスに座ると、バッグを抱える。
「あれ、お姉ちゃん?」
「――起きてたの」
 すると、奈津美が目を開け、こちらを見上げたので、声をかけた。
「うん。ちょっと、目閉じてただけ」
「具合は」
「悪くはないかな。点滴、ずっとしてて、腕が痛いくらい」
「――そう」
「明日の朝、診察して、落ち着いてるなら退院だから」
 あたしは、その言葉に、無意識に息を吐く。
「……ゴメンね。心配かけた」
「――……あたしより、照行くんでしょう」
「まあ、それもそうだけどさ」
 そう、うなづく奈津美は、やっぱり幸せそうで――あたしは、少しだけ視線を外した。
「母さんは、あたしが様子見に行くから。アンタはしばらく、家で休んでなさいよ」
「――うん、それなんだけどさ……」
 奈津美は、少々気まずそうに、あたしを見上げる。
「母さんと、昨日、電話で話したんだけど……アタシ達、同居する事にする」
「――え?」
 ……同居……?
 一瞬、意味が取れず、あたしは聞き返してしまう。
「うん。母さんも年だし――子供が産まれたら、アタシ一人でアパートでテル待ちながら育児とか、無理そうだしさ。どっちみち産まれてすぐは、二週間くらい、母さんに店休んで来てもらう予定だったから」
「……そ、そう……」
 あたしは、うなづくしかない。
 それは、奈津美と母さんの間で、既に決定済みの事項。
 今さら、反対してもどうしようもないのだ。
「――で、やっぱり、仕事辞めて、店、手伝おうかと思って」
「……は?」
 だが、次々と出てくる事後承諾に、あたしは、だんだんとイラついてきてしまう。

 ――どうして、アンタは……っ……。

「母さんも、しばらくは本調子じゃないだろうしさ。まあ、ちょうど良いかな、って」
 奈津美は、そう、悪びれもせずに続ける。
「……か、会社は?辞表出して、すぐ、さようなら、なんてできないわよ」
 あたしは、自分の現状を思い、心の中で苦る。
 奈津美(ひと)のコトを言えないのは、承知の上だ。
「――まあ、産休予定は提出してるから。有給使い切って、その後、退職扱いにしてもらうつもり」
 原島物産の環境がどうなってるのかは、わからないけれど――。
「アンタ、せっかく就職したのに……」
「それは、もう、仕方ないわよ。ウチ、女性比率高いし、こういう状況も珍しくないから」
 ――けれど、そんなにあっさりと、辞めるなんて……。
「まあ、別に、お姉ちゃんは、いつでも帰って来て良いんだからさ。赤ちゃん、見に来てよね」
 ニコニコと笑いながら言う奈津美を、次第に直視できなくなってきた。
 あたしは、立ち上がるとバッグを持ち直す。
「あれ、もう帰る?テルが来るまでいない?」
「――悪いけど、やる事残ってるし」
「そっか。忙しすぎて、この前みたいに、倒れないでよね」
「アンタに言われたくないわよ」
「確かに」
 そう言って笑う奈津美に、あたしのイラつきなど、気づかないだろう。
「――じゃあ」
「うん、ありがと。バイバイ」
 奈津美は、ニコニコと、横になったまま手を振る。
 あたしは、それを視界に入れながらも、そのまま病室を出た。
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