Runaway Love
 岡くんが淹れてくれたコーヒーを飲み終える頃には、既に五時を回っていた。
「――そろそろ帰るわ」
「送って行ったら、ダメですか?」
 気遣うような口調に、苦笑いが浮かぶ。
「何、過保護になってんのよ」
「――だって、少しでも長く、茉奈さんと一緒にいたいから」
「仕事が終わるよりも、早い時間よ」
 そう返せば、岡くんは、渋々うなづいた。
 あたしは、本をバッグに入れ、玄関で靴を履く。
「――……でも、まあ、今日はありがとう」
「え」
「本に集中できたし、美味しいご飯もコーヒーも頂いたし――ホント、至れり尽くせりで、バチが当たりそうだわ」
 すると、岡くんは、口元を上げる。
「……ホントは……少しは、オレのコト知ってもらえたら、って、思ったんです。それに、茉奈さん、忙しそうだったから、ちゃんと休んでもらいたかったし」
「――……そ、そう……」
 あたしは、返答に困る。
 確かに、今まで見なかった表情(かお)は見られたけれど――。
 まだまだ、全部ではない気がして――もっと、知りたいと思った。

 バスに乗り、朝の道をUターンするように帰る。
 アパートに着く頃には、六時を過ぎていた。
 部屋の鍵を開け、中に入ると、あたしは、大きく息を吐く。
 ――……何だろう、コレ。
 ……岡くんといたのに、妙に心は穏やかだ。
 今まで、イライラしたり、モヤモヤしたり――そんな、負の感情ばかりだったのに。

 野口くんのように、干渉されたくない時には、放っておいてくれる。
 一人でいても良いと、認めてくれる。

 もしかして、それは――あたしの一番の優先事項なんだろうか。

 いつでも一緒にいたい。
 相手の事を、一番に考えていたい。
 何でもしてあげたい。

 そして、自分にも、同じように返してほしい。

 恋愛は、そういう気持ちのやり取りなんだと思っていた。

 ――……でも、お互いの意思を尊重し合う事ができるのなら……。

 あたしは、目を閉じて、軽く首を振る。

 ――まだ、答えを出す時じゃない。

 ――……あたしが、答えを出せるのは――。


 ”つまんねえ女”


 ――棘が抜ける時だ。


 それから、買い物バッグを持つと、あたしはマルタヤへ向かった。
 週一回のまとめ買い。
 時間も時間だし、冷凍のおかずも押せ押せになっているから、最低限にしよう。
 頭の中で、買うものを思い浮かべながら、商店街を通り、マルタヤに到着すると、急いでカートにカゴを乗せる。
 日曜の遅い時間なので、人はそう多くはない。
 あたしは、少なくなった商品が並ぶ売り場を、順番に眺めながら、いつも使う食材だけカゴに入れた。
 値引きの商品を手に取り、悩んでいると、バッグの中が振動する。
 あたしは、シールの貼られた牛のバラ肉をカゴに乗せ、スマホを取り出した。
 そして、一瞬ためらう。

 ――早川からの、着信だ。

 迷ったが、スマホは一旦戻し、会計を急いで終わらせる。
 そして、いつもよりは軽いバッグを両手に持つと、アパートまで、できる限りの速さで歩いた。
 今は、部屋に帰るのが最優先だ。
 ――また、先輩に会ったら、今度こそ逃げさせてくれないと思う。
 あの人にとっては――あたしも、奈津美も、自分の欲を満たす為の道具に過ぎないんだろうから。
 他人の意思なんてものは、最初から、関係無いんだ。


 ――でも、あたしが、自分と向き合うという事は……そんな彼と、向き合うという事なのかもしれない――……。
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