御曹司は離婚予定の契約妻をこの手に堕とす~一途な愛で溶かされました~
「ほら、行こう」

 そんな私の心の機微を、小早川さんは敏感に察したのだろう。
 促されるまま、抵抗せずについていく。

 畏まった店は遠慮したいとなんとか伝えたところ、こじゃれた居酒屋に連れていってくれた。
 よく知らない人の前でアルコールを飲むのは抵抗があるが、緊張を少しでも和らげるにはお酒の力を借りたい。少しだけと、自身の言い訳をしながらオーダーを入れた。
 料理の方は、この店に何度か来ているという彼にまかせたところ、いくつか適当に頼んでくれた。
 
 あらためて小早川さんと向き合うと、なんだか気恥ずかしい。逃げるように、届いたアルコールを口にした。

「そう言えば、少し前に結婚式場で成瀬を見かけたな」

 なにをどう切り出せばいいのか困っていたところで、向こうから話をはじめてくれたのはありがたい。
 ただ、内容は私にとって気まずいものだった。

「いつもと雰囲気が違ったから、別人かと思った。ああいう格好も、よく似合っていた」

 あの日、着飾った私を見ても弘樹はなにも言ってくれなかった。
 これほど時間が経った今、小早川さんに褒められるとは思ってもみなかった。もちろん、嫌な気はしない。

「一緒にいたのは……交際相手か? 険悪な雰囲気のようだったが」

 聞こうかどうしようか、迷った様子で遠慮がちに尋ねられる。
 視線が絡んだのはほんの一瞬なのに、でそこまで感じ取っていたのは、この人の観察眼が鋭いからだろうか。

 プライベートな領域に踏み込まれたというのに、不快感は抱いていない。
 一夜明けて気持ちの折り合いはつけられたつもりだが、納得しきれていないのかもしれない。燻っているものがあるとすれば、未練ではなくて、理不尽に傷つけられた怒りだ。
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