婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

父王の言葉

「父上」

 ネイトは、ベッドの上で上半身を起こしている父を見つめた。シュヴァール王国の国王であるネイトの父は、幼少期から病弱で、彼が生まれてからも体調を崩しがちだった。
 ごほごほと咳込んでから、国王はネイトに向かって口を開いた。

「アマリリスを王宮から追い出したというのは、本当か? ネイト」
「はい、父上」

 彼は父の言葉に頷いた。

「アマリリスが聖女と認定されたのは、聖女の杖が彼女に反応したからだということは、父上もご存知でしょう。ですが、彼女は偽物でした。本物の聖女は、彼女の妹のカルラだったのです」
「その証拠は?」

 鋭い父の瞳に負けず、ネイトは続けた。

「カルラが聖女の杖を手にした時の方が、より強く聖女の杖が反応したのです。しかも、アマリリスは、カルラこそが聖女である事実を隠そうと、実の妹のカルラを手にかけようとしました。本物の聖女であれば、そのような罪を犯すはずがありません」

 しばし口を噤んだ国王は、小さく息を吐いた。

「私には、アマリリスがそのようなことをするとは思えんがな」
「ですが……」

 至極真っ当な父の言葉に詰まりながらも、反論しようとしていたネイトの頭に、過去の光景が浮かぶ。

(そういえば……)

 アマリリスは、聖女の杖を携えて、体調の悪い国王をよく見舞っては、彼に回復魔法をかけていた。国王の点数稼ぎをするのかと、冷ややかな目でアマリリスを見ていたネイトだったけれど、国王は彼女のことを買っていたのだ。
 ネイトは言葉を選びながら、慎重に答えた。

「父上がそう思われるのは、ごもっともです。俺の前でも、アマリリスはまるで本物の聖女のように振る舞っていましたから。ですが、カルラは、さらに素晴らしい回復魔法の使い手です。今後は、カルラを連れて父上の元に参りましょう」
「アマリリスは、今どこに?」
「さあ。俺は、国を欺いた偽聖女など、すぐに処刑した方がよいと思ったのですが、優しいカルラがそれを止めました。その代わり、アマリリスは国外に追放したので、もし彼女にも本当に聖女の力があるのなら、どこかで生き延びていることでしょう」
「私には、確かにアマリリスが聖女の資質を備えているように思えたのだが。……無事でいてくれるとよいがな」

 表情を翳らせた父に、ネイトは苛立っていた。

(父上は、俺の言葉よりもアマリリスを信じるというのか)

 ネイトは、身体が弱く、領土を広げることもせずに治世を過ごしていた父のことを軽蔑していた。けれど、ネイトの内心を見透かすような父の瞳に、彼の額には冷や汗が浮かぶ。

(はっ。父上は、国王として、このシュヴァール王国に何をした訳でもないくせに)

 彼の父は、シュヴァール王国の国民がより安全で豊かな生活ができるようにと心を砕いてきた。平民の意見にも耳を傾け、貧しい辺境の地にも交通網や水路を行き渡らせたのは、現国王の功績だ。ただ、父が成したことを、ネイトはつまらないことだと見下していた。

(その程度のことは、やろうと思えば誰だってできる。たまたま魔物が息を潜めていた時期だったから、あんな父上が上に立っても、国が混乱しなかっただけだ)

 じっとネイトを見つめた国王は続けた。

「お前は、ライズ王国を攻めようとしているそうだな」

 彼の独断で動いていることについて、既に父にも情報が回っていることに焦りながら、彼は頷いた。

「はい。もう少し策を練ったら、父上にもご報告するつもりでした」
「それは、ライズ王国で採れたという、稀少な鉱物資源を巡る交渉が決裂したからか?」
「その通りです。これ以上ライズ王国をつけ上がらせないためにも、早期に攻め落とした方が得策でしょう」

 ネイトの瞳が熱を帯びる。

「だいたい、あの程度の小国、今までだって我が国の属国にする機会はいくらでもあったはずです。俺は、今の状況を、この国の領土を広げる好機と捉えています」
「お前の考えは、理解できない訳ではない。だが、しばし時機を待て」
「なぜです? むしろ、時を逸することなく、すぐに隣国を攻めた方がよいように思いますが」
「……このシュヴァール王国に聖女が現れるのはどのような時か、お前は知っているか?」
「三百年に一度ほど、とは聞いています。違うのですか?」

 国王は首を横に振った。

「もっと本質的な話だ。聖女の力が必要となる時にこそ、聖女がこの国に遣わされるのだと、そう伝えられている」
「それなら、ぴったりではありませんか。ちょうど、ライズ王国を手中に収めようとしている時なのですから。アマリリスには、隣国の侵攻に力を貸す気はないと冷たくあしらわれましたが、カルラは喜んで力になると言ってくれています」

 息子の言葉に耳を傾けるうち、次第に厳しい表情になった国王は、苦々しくネイトを見つめた。

「お前は、恐らく大きな過ちを犯している。早まれば、国が荒れるぞ」
「父上は、あまりに慎重過ぎるのではありませんか」

 ネイトは思わず声を荒げた。

「先代の国王は勇敢でした。この国と諍いを起こしていた近隣国の一つを、自らの武勇で立派に併合したと聞いています。俺もそんな王になりたい」

 息子から言外に非難されながらも、国王は静かに言った。

「お前は、今の平和を当然のものだと思っているだろう。お前が生まれてから、ずっと平穏な日々が続いてきたのだから、そう思っても仕方ない。……だがな、平和とは、泡沫のような、壊れやすく貴重なものなのだよ」

 国王は遠い瞳をした。

「私の父が、生前に言っていたのだがな。かの国を制するために、祖父の命を受けて戦に赴いた時には、領土を広げて国を強固にするのだと、意気揚々と血が騒ぐ思いだったそうだ。だが、敵軍の将は、部下を庇いながら先陣を切って戦う、敵ながら素晴らしい軍人だったそうでな。国を守るために必死に戦う彼を討ち取った時、父は自問したそうだ。義は果たしてどちらにあったのだろう、と」

 黙っていたネイトの前で、彼は続けた。

「彼に会う場所が違っていたら――戦の場でさえなかったら、友となり手を携えることも、酒を酌み交わすこともできたかもしれない。けれど、互いの命を奪い合うためにしのぎを削る戦は、何と残酷で虚しいものなのだろうかと、そう、呟くように溢していたよ。その後は、彼が平和を尊び一切の戦をしなかったことは、お前も知っているだろう」
「ですが、血で血を洗う争いも厭わないくらいでないと、大国の王など務まらないように、俺には思えます」

 顔を顰めたネイトの言葉に、国王は苦笑した。

「お前は、いったい誰に似たのだろうな。お前の母も、優しい女性だったものだが……少し、甘く育て過ぎたのかもしれんな」

 結婚後、長い年月を経てから王妃との間にようやく生まれた一人息子を、彼も王妃も溺愛していた。何不自由なく育ったネイトが好戦的に過ぎることを、国王は危ぶんでいた。

「話は変わるが。約三百年前に現れたという前聖女がどんな女性だったか、お前は知っているか?」

 ネイトは面食らったように答えた。

「いえ。聖女像がその聖女を象っているということ、そして王妃となりシュヴァール王国を支えたということしか、俺は知りませんが」
「これはあまり知られていないことだが、前聖女は、まったく魔力を持ち合わせていない、一介の農家の娘だったそうだよ」
「……そんな卑しい血が、俺にも流れているということですか?」

 苦虫を噛み潰したような顔をしたネイトを、国王は真っ直ぐに見つめた。

「その通りだ。彼女が聖女たる所以が何だったのか、お前も考えてみるといい。……お前の言うように、冷酷で残虐非道な王が強大な帝国を築くこともあれば、温厚な王に変わった途端に国を持ち崩すこともある。王の治世が成功か失敗かは、歴史が決めるだろう。だがな、国を支えているのは民だ。民を守り、国の平和を保つこと――それこそが王の最も大きな使命ではないかと、私はそう考えているよ」

 喋り過ぎたのか、国王は激しく咳き込み始めた。冷めた顔でつまらなそうに父の話を聞いていたネイトは、彼に告げた。

「お身体の具合が悪いところ、すみません。そろそろ失礼します、父上」

 ネイトは父の前から踵を返した。

(父上に何と言われようと、俺の意思は変わらない。父上のような意気地のない王には、俺は絶対にならない)

 彼のライズ王国への進軍の決意は、父の言葉を受けても変わってはいなかった。
 次にどう手を打つかを考えながら、ネイトは靴音を響かせて父の部屋を後にした。
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