追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

47.その歌姫は、ターゲットと接触する。

 ルヴァルにエスコートされながら壇上から降りたエレナは、ゆっくりとした足取りで会場を回る。

「大丈夫か、レナ」

 気遣うようなルヴァルの問いにゆっくり頷いたエレナは、

「思ったより平気だった。戦闘服(ドレス)のおかげかも」

 と揃いの衣装を嬉しそうに見て微笑む。

「妹はアレで良かったのか。随分寛大な処置だが」

 今までエレナがマリナにされてきた事や彼女の暗躍を思えば、ルヴァルとしては王太子(アーサー)に刃向かおうとした他の貴族同様粛清対象に入れても良かった。
 だが、エレナの申し出で皮肉にもマリナは今も生きている。

「私の事は別にいいの。過去より今の方がずっと大事だもの。それに昨日ルルが怒ってくれたから、なんだかスッキリしちゃって」

 デコピンは痛かったけどと額をさすりながらクスリと付け足すエレナ。

「マリナのしたことはキチンと手続きを踏んで正式に司法で裁かれるべきだと思うわ」

 元々高い身分や影響力があるわけでもないマリナはエレナの発言で晒し者にされ、利用価値はなくなったに等しい。国に拘束されれば、ノルディアに命を取られる事もないだろう。
 自分は決して"いい子"ではない。過去の出来事に思うところがないわけではない。
 だが、それよりも。

「マリナに構っている時間が惜しいし、正直、私はマリナがどうなったとしても関心がない。それって、きっと私に執着しているマリナにとっては一番許せない事で、私が幸せに生きているって事が一番効果的な復讐じゃない?」

 だから、これでいいの。とエレナは紫水晶の瞳を瞬かせ、ルヴァルに笑いかける。

「そうか」

 ルヴァルはそんなエレナを見て、ポンと頭に手を置く。
 徹底的に排除した方が安心だし、あの手の人間はルヴァルの経験上改心しない。だが、それがエレナの選択であるならば尊重したいとルヴァルは思う。
 エレナが笑って、楽しげに歌っていられるならそれでいい。

「それに、私達が戦わなきゃいけない相手はマリナじゃないわ」

 いつでも切れるトカゲの尻尾に構っている暇はない。
 裏で糸を操る相手は、先程の光景を見てどう思っただろうか?

「上手く釣れるといいんだけど」

 と小さくつぶやいた時だった。

「エレナ!」

 呼び止められ目を向ける。そこにいたのは懐かしい見慣れた新緑の瞳。

「……ウェイン侯爵令息」

 抑揚のない声でエレナはその名を他人行儀に口にする。

「……久しぶりだね、エレナ」

 そんなエレナに少したじろぎ、だがエリオットはそのまま話を進める。

「君と2人で話がしたい」

 意を決したようにエリオットはエレナを引き留める。
 まるで断られるとは思っていない音の響きを聞きながら、エレナはエリオットとはこんなに非常識な人だったかしら、と苦笑する。

「私には話す事などございません」

 そんな言葉と共に紫水晶の瞳は強く拒絶を示した。

「エレナ?」

「何故、今あなたはここにいるのです? マリナはどうしました? あのような状態の婚約者を放っておくなど、褒められたことではないかと思いますが」

「えっと、それは……」

 今までどんな事でも受け入れてくれていたエレナからそんな言葉が出てくるなど思っていなかったエリオットは言い淀む。
 エリオットは都合が悪くなると逃げる癖がある。
 言葉を紡げなくなったエリオットは、助けを求めるような視線をエレナに投げるが、

「私はすでにこの方の妻です。既婚女性を誘うのはいかがなものでしょうか」

 とエレナは淡々と拒絶する。

「幼馴染に、随分と冷たいじゃないか」

「私には、ウェイン侯爵令息のおっしゃっている言葉が理解できません」

 冷たい、と言われたエレナは別れた頃とは違いはっきりと感情が浮かぶようになった紫水晶の瞳をエリオットに向ける。

「ルヴァル様に挨拶すらしないのも非常識ですが、あなたと私はもう名前で呼び合う仲ではありませんので、今後はお控えください」

 どんな顔をして会えばいいのだろう、と思い悩んだ昨日が嘘のように、エレナの口からはすらすらと言葉が出る。
 大事にしたいのは、エリオットではない。傷ついた自分と向き合ってくれたルヴァルだ。

「だそうだ。さっさと自分の婚約者の元に戻ってはどうか?」

 エレナを見守っていたルヴァルは、はっきり自分の意思を述べた彼女を肯定するようにそう告げる。

「俺の気が変わらないうちに、な」

 青灰の強い眼力を前にエリオットの顔色はみるみる青ざめる。

「話はついたな」

 行こうか、とルヴァルがエレナを促そうとしたところで、

「ではアルヴィン辺境伯夫人、私と一曲ダンスはいかがだろうか?」

 そんな声が割って入った。
 視線を向ければ、そこには不遜な笑みを浮かべるオレンジ系の茶色の髪に翡翠の目をした青年が立っていた。

「聡明な夫人を誘いたいのだが、王族の誘いを断るほどまさか北部の主人は狭量ではあるまいな」

 その声に、顔に、反応し、エレナは冷水を浴びせられたように背筋が凍る。
 覚悟はしていた。
 だが、実際対峙すると嫌でも1回目の人生が脳裏に駆け巡る。

『出来損ないめ』

 マリナと共に自分を牢に閉じ込め、鎖で繋いだ人物。
 高飛車な態度と人としての尊厳を踏み躙られた過去と共に鎖の音がエレナの耳の奥でこだまする。

「レナ」

 トントンと落ち着かせるようにルヴァルはエレナの肩を叩き優しげな視線を向けられた事で、エレナの思考は現在に戻る。

「申し訳ございません。私のような者に大国の王太子殿下からお声がかかるなど想像した事すらなく、驚いてしまいまして」

 そう言ったエレナは呼吸を整えると、淑女らしく綺麗な動作でカーテシーを行い、

「ノルディア王国の若き太陽カルマ・イーリス・ノルディア王太子殿下にご挨拶申し上げます。この度はご尊顔を拝する栄誉を賜わり恐悦至極に存じます」

 と挨拶を述べる。

「ああ、許そう。そう、固くなる必要はない」

 夫人は礼儀をわきまえているようだ、と満足気で勝気な翡翠の目はまるでヘビのようにエレナに絡みつく。

「では、一曲いかがか?」

「喜んでお受けいたします」

 元より身分が下のエレナには選択肢などないのだが、ターゲットからよって来てくれるなら手を取らないわけにはいかない。

「行って参ります、旦那様」

 ルヴァルの青灰の瞳に微笑んだエレナは、そう言ってカルマの手を取った。
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