追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

48.その歌姫は、走り出す。

 辺境伯夫人として広く認知されることになった初めてのダンス。できることならファーストダンスはルヴァルと踊りたかった。
 ……なんて言っている場合ではないのだろうけれど、昨日の楽しかったルヴァルとの予行練習(ダンス勝負)を思い出し、エレナはそんな事を考える。
 自分を狙う宿敵がすぐ側にいるというのに、そんな余裕があるくらいには、エレナは冷静だった。

(運命は自分で選ぶ。誰かに操られるなんて、真っ平よ)

 コツコツと響く自身のヒールの音を聞きながら、エレナは強くそう思う。

『期待してる』

 ルヴァルの言葉を思い出し、エレナは深く呼吸を吸い、気合いを入れた。

 カルマに手を引かれホールに出たエレナは沢山の視線に晒されながらダンスを踊る。
 さすがノルディアの王子様、と思うくらい彼はダンスが上手かった。
 単純に自分と踊りたくて誘ったわけではないだろうが、いきなり本人が接触してくるなんてどんな意図があるのだろうかとエレナは翡翠の瞳を映しながら、さして知らないカルマについて考える。

「夫人は多彩だな。あのように素晴らしいアイデア、どのようにして思いついたんだ?」

 口を開いたのは、カルマからだった。
 計画を潰されたというのに、不満を一切表に出さないその声音に"嘘の音"は見つからない。
 それどころか囁かれるように紡がれる柔らかく優しげな声には色気と甘さが混ざっており、不思議な音の響きがする。

「お褒め頂き、光栄に存じます」

 にこっと微笑むエレナは、

「旦那様の役に立ちたくて、私にできる事を考えただけですわ」

 と謙虚な姿勢を崩さない。

「なるほど、夫人はよほど辺境伯が大事なようだ。ドラゴンの鱗も貴重な品だろうに、無償提供とは辺境伯は随分気前がいいのだな」

 本来ならドラゴンの鱗は貴重なモノで生え変わりの時に気まぐれに落とされたそれは1枚で平民なら1家族が1年余裕ある生活を送れるほどの価値を持つ。
 ドラゴンの飼育に成功しているアルヴィン辺境伯領でさえ、滅多に手に入らないそれは、採取できた場合市場に流す事はなく、大抵剣や盾といった武器の材料として使われていた。
 それを通貨作製のために国中に流通させられるだけの量を素材として無償提供するというのだから、さぞ興味をそそられた事だろう。
 自分がこれから攻略しようとしている国の資源なら尚更。

「ドラゴンの鱗については部外秘です」

 エレナはカルマの瞳を見ながら冷静に言葉を選ぶ。

「ふふ、何分うちの旦那様には秘密が多いモノで」

 歌うようにそう言ったエレナは優雅に踊る。
 
「それは、暴きたくなるなぁ」

 翡翠色の目に楽しげな色を乗せたカルマは、

「特に、夫人に関する事は"全て"」

 エレナはカルマに引き寄せられ耳元で甘く囁かれる。その(おと)に脳が痺れるかのような感覚を覚え、エレナは背筋が寒くなる。

「"秘密"とは、"秘密"であることに一つの価値がある。私なら、そんな希少な能力素直にバラしたりしないんだけど」

 絡みつくような声音に身体の自由と思考が支配されていく。
 私は"この魔法"を知っている。
 そう思ったエレナは耳を澄ませ、ルヴァルの声を探す。
 会場に溢れる沢山の雑音を全て意識の外に追いやったエレナは、

『レナ』

 と自分を呼ぶ心配そうな声を見つける。
 その瞬間、ルヴァルの声に共鳴した身体が自由と自分の意思(そうありたい願望)を思い出す。

「キミが欲しいなぁ。さぁ、私にも教えてくれないか?」

 そう囁かれたエレナは、

「おっしゃっている意味が分かりませんわ」

 きょとんとした顔で、紫水晶の瞳を瞬かせた。

「欲しいだなんて、お戯れを。私は既婚者ですし、夫のルヴァルを心から愛しておりますので」

 エレナは笑ってそれを受け流してみせる。
 はっきりしたその口調にエレナが正常である事を知りカルマは驚いた様子で息を呑む。

「失礼ながらノルディア王国は"黒髪"を忌避する文化が未だにお有りでしょう? 本当は私など手に触れるのもお嫌なのではありませんか?」

 淡々とした口調でエレナは優雅に言葉を紡ぐ。

「たかだか髪の色ごときで"命の価値"の変わる国など願い下げです」

 勝ち気な紫水晶の瞳は戦う意思を映し出し、

「"破滅の魔女"をお探しかしら? 残念ね。私はもう彼のためにしか歌わない」

 そう宣言したところで曲が終わる。

「お誘い頂きありがとうございました。この後も素敵な夜をお過ごしください」

 エレナは淑女らしくカーテシーを行うと、ルヴァルの元に今すぐ戻りたくて足早にターゲットから離れた。

 あの"魔法"は危険だ。
 そう思うと同時に、エレナはリオレートの中で鳴り響く不協和音の正体を知る。
 目的通り相手に興味を引かせるための餌をばら撒いて"標的"としてカルマを挑発した。
 本日の戦果としては十分だろう。
 早くルヴァルの顔が見たい。そして、彼に"真実"と"警告"を伝えなくては。
 淑女としては失格かもしれないが足早にエレナは駆けていく。

「ルル、一体どこにいるの?」

 先程は確かに会場内にいたルヴァルの声も足音も今は全く聞こえない。
 という事は自分の聴力の及ぶ範囲に彼はいないという事だ。
 こんな状況でルヴァルが自分を一人放置するとは思えない。彼に何もなければいいけれどと胸をざわつかせながら、エレナはドレスをはためかせ、何かに導かれるかのようにバルコニーに出た。

「……あれは、ジルハルトお兄様?」

 目に止まったのは、ウェイン侯爵家嫡男、エリオットの兄であるジルハルトの姿だった。
 彼は公明正大で自分にも他人にも厳しい人でエリオットとの仲はあまり良くはなかったと記憶している。
 ウェイン侯爵家を訪れ面会した時も厳しい物言いをされる事が多かったが、エレナは彼の事が嫌いではなかった。
 ジルハルトの物言いは決して理不尽なモノではなく、将来子爵家や領地を治める事になるエレナに対しての的確な助言であることが多かったからだ。
 何より、彼はエレナが"カナリア"だからといって特別視することなく接してくれた数少ない人物。
 将来ウェイン侯爵家を継ぐ者として自覚し、自分を律するジルハルトが宴を抜け出して外にいる。
 その事にエレナは強い違和感を覚える。
 ジルハルトはエレナの視線に気づく事はなく、何かを探しているかのようにキョロキョロと辺りを見渡しながら、一人で裏庭の方へ遠ざかっていった。
 一体何を、と思った瞬間エレナの耳は遠くにここで聞こえてはいけないはずの音を拾う。

「そっちに行ってはダメ」

 口元を抑えてつぶやいたエレナは、不意に1回目の人生での出来事を思い出す。

『あら嫌だ、お姉様ったら。世事に疎いんですから』

 私が懇切丁寧に教えてあげますねとにこっと笑ったマリナが愉悦をエメラルドの瞳に浮かべて言ったのだ。

『死にましたよ。ジルハルト様もウェイン侯爵夫妻も』

 だって、邪魔なんだものと笑うマリナが弄ぶように鎖を引っ張る。
 マリナの手と自分の首に繋がっている鎖が音を鳴らし、衝撃を伴ってエレナの耳に大きく響いた。

『あはっ、助けが来ると思った?』

 ざんねーん♡と間伸びしたマリナの声でそれが現実なのだと知る。

『ほんっとーに、どこまでも他人任せね、お姉様?』

 全く、その通りだ。
 不本意ながら1回目の人生で言われたマリナの声に同意したエレナは、パチンと両頬を力いっぱい叩き、"現在"の時間(2回目の人生)に意識を戻す。

「まだ間に合う! 他人任せになどしないわ」

 人生を変えるの! とエレナは気合いを入れるとヒールを脱ぎドレスを翻して駆け出した。
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