追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

58.その歌姫は、逃走する。

「レナがいなくなった、だと?」

 別邸に戻ったルヴァルは屋敷内の騒然とした様子に眉を顰め、低い声でそう尋ねる。

「お館様、申し訳ありません。私が目を離したばかりに」

 リーファがルヴァルに頭を下げ、簡単に状況を報告する。
 気づいた時には既に屋敷内にエレナの姿はなく、裏庭を含め捜索中だという。
 リーファにしては珍しく、焦っている様子が見受けられ既に敷地内は一通り捜索済みであることが伺えた。

「リーファだけの責任ではありません。正直、エレナ様があんなに早く目を覚ますとは思っていませんでしたし、私も席を外していましたので」

 人の気配があり過ぎても耳の良いエレナにとっては負担になってしまう。目眩しの魔法もかけてある屋敷内の自室であれば護衛も不要だろうと判断した事が仇となった。

「エレナ様が何も言わずいなくなるだなんて……。もしかして攫われ」

 まだ本調子でないエレナの姿を思い浮かべ、顔面蒼白になるリーファ。

「落ち着けって、リーファ。その可能性は限りなく低い」

 ノクスはいつもとは違い冷静さを欠いているリーファの肩を掴み、

「屋敷中に張り巡らせてある侵入者防止の罠にも部外者の気配探知にも何もかかってねぇんだ。万が一俺の作った魔術道具を突破できたとして、この屋敷にいる戦闘狂どもと一戦も交えずにひーさんを攫うなんてありえねぇだろ」

 事実を端的に述べる。

「じゃあどうして!? なんで、エレナ様がいなくなるのよ!!」

「それは……分かんねぇけど」

 2人のやり取りを見ながらエレナの失踪と屋敷の状況を把握したルヴァルは、

「リオは?」

 と姿の見えないリオレートの所在を尋ねる。
 ノクスがいう通り、この屋敷内から誰にも悟らせず攫うことのできる人間がいるとするなら、それは一人だけ。
 不意に過去の記憶が顔を覗かせ、ルヴァルは眉間に皺を寄せる。

「呼んだか?」
 
「……リオ」

 だが、ルヴァルのそれは杞憂に終わった。

「魔馬が一頭いなくなってる。誰も使ってない所を見るとエレナ様が連れて行ったんじゃないかと思う」

 ウチの魔馬は外部の人間が乗りこなせるほど大人しくないしとリオレートが屋敷を見回った異変をルヴァルに報告する。

「……そうか」

 いつもと変わらぬ口調と様子のリオレートに内心で安堵したルヴァルが小さくつぶやく。

「ところでルヴァー。そのブルーローズどうしたんだ?」

 ルヴァルがぞんざいに抱えるブルーローズの花束を目に留めたリオレートがそう問いかける。
 ブルーローズ。それは現陛下今は亡き王妃に求婚した際に贈った彼女のために造られたの花。故にそれは先代王妃が使っていた宮の庭にしか存在しない貴重種だ。
 いくら国の番犬としてルヴァルが王太子に重用されていても王族の許可なく簡単に手にできる品ではない。

「エレナへの詫びと言うか礼と言うか……。まぁ、安心しろ。アーサーの許可はとっている」

 コレと引き換えにいくつか仕事を請け負ったが、余計なことをいうと小言を聞く羽目になるのでその点は黙っておく。

「詫び、ってお前エレナ様に一体何をしたんだ」

 エレナが出ていく事に心当たりが? とリオレートに訝しげな視線を投げかけられる。

「……お館様、まさかとは思いますが昨夜お怪我をされているエレナ様を無理矢理手籠になどしてませんよね?」

 リオレートの言葉に続けて、ぽつりとソフィアが爆弾を落とす。

 昨夜ルヴァルの部屋から戻るなり"愛人業って何をすれば"などとうわ言を言って熱を出したエレナ。
 彼女の様子を見る限り、キャパオーバーを起こす程度の何かはあったのは確実でも、そこまではないと思っていたのだが。
 一応、くらいの気持ちで聞いたソフィアの言葉に反応したリーファが、

「手籠。お館様、見損ないましたよ」

 殺気を隠すことなくルヴァルにナイフを投げる。

「はぁ? んなことやるか!! "怪我治ったら覚悟しとけ"って宣戦布告しただけだ」

 飛んできたナイフを軽々と弾いたルヴァルはそう言ってため息をつく。

「女を口説くなら花と宝石。せっかく王都に来ているのだから、観光を兼ねてデートでもして来いとアーサーに言われたんだよ」

 普段のエレナとルヴァルをやり取りを聞いたアーサーから呆れたような口調で助言をされたことを説明する。
 今回の建国祭用にメリッサに用意させた物を除けば確かにエレナにそんなモノを贈ったこともないし、バーレーの城下町や景色の綺麗な場所など遊びに連れて行ったこともない。
 エレナが一度も不満を言ったことがなかったのでそんな考えに至らなかったが、今考えるとなかなかぞんざいな扱いをしていたとアーサーに怒られながら反省したのだが、渡そうと思った本人がいなくなっている状況。
 さて、どうするか? とルヴァルが考え込んでいると。

「つまり、ひーさんいなくなったのお館様のせいじゃん。ってか、ひーさん馬乗れたん!? しかも魔馬って」

 ノクスが驚いたように声をあげた。魔馬は通常の馬と魔獣の掛け合わせて、馬力は通常の馬とは桁違いだが、気性が荒く扱いが難しい。
 バーレーの荒くれ者の騎士達ですら、全員が乗りこなせるわけではない。

「ノクスが言ったんだろうが。エレナにも身を守る術がいる、って」

 ルヴァルはエレナが偽造通貨を見破った日の事を引き合いに出してノクスに話す。

「言ったけど」

「だから教えた。今のエレナができる時間の稼ぎ方と敵からの逃げ方について」

 エレナに戦う覚悟を問うた時、エレナ自身が反撃を望んだ。だから、ルヴァルは戦略的撤退とも言える"逃げて生き延びる"方法を教えた。

「魔馬は賢いからな。ドラゴン同様すぐにエレナに懐いたぞ」

 神獣の加護を受けている影響なのだろう。通常の馬には乗れなかったエレナに魔馬は自ら進んで身体をすり寄せた。

「ま、とにかく。レナが自分の足でここから出て行ったのなら、多分大丈夫だ」

「大丈夫って、どこがですか?」

 なお不満げな声をあげるリーファに、

「レナが抜け出すのは初めてじゃねぇ、って事だ」

 ブルーローズを預けたルヴァルは、

「とりあえず、本人に話を聞かないことには今後についても判断できん、って事で迎えに行ってくる」

 そう宣言する。

「迎えに、って当てはあるのか?」

「さぁな。ただ、魔馬を連れているとしても今のエレナではまだ遠乗りはできない。せいぜい、王都内。南部の実家関係や都内にあるだろうウェイン侯爵家の別邸に行ったとは考えづらい。エレナの交友関係の狭さを考えれば捜索範囲も絞れるだろう」

 1人でいいと言ったルヴァルは屋敷の片付けを命じてくるりと踵を返した。
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