追放された歌姫は不器用な旦那様に最愛を捧ぐ

69.その歌姫は、再会する。

 エレナは屋根の上を渡りながら必死に逃げる。

「はぁ……足場、最悪」

 マリナから押し倒された時に足を挫いてしまったらしい。だがズキズキと痛む足に気を使っている余裕はない。
 
『私のために歌いたくなるように仕向けてみるのも一興だな』

 カルマはそう言っていた。それならきっと自分が歌わざるを得ないような状況に追い込むために何かを仕掛けてくるはずだ。
 否、もうすでに仕掛けられているのかもしれない。
 だとしてもカルマの思い通りになんてなってやるものかとエレナが思った時だった。

「……!? 何、か……くる」

 魔力回路が復活し、身体に魔力が巡った事ではっきりと分かる。

「とっても嫌な音」

 それは地下から。
 あるいは上空からも。
 よくない何かが近づいてくる気配にエレナはきゅっと唇を噛み締める。
 忘れようにも忘れられない。それは王城の敷地で自分達に襲いかかってきた魔物達の気配()

「魔物……が、沸く?」

 エレナはさっと血の気が引きそうになり必死に耐える。
 もし戦闘になったとしても今ここにルヴァルはいない。
 連れて来られたとき身につけていた宝飾品はマリナによって全て取り上げられたから、ルヴァルからもらった護身用のナイフも、魔物避けの魔法が施された魔石もない。
 邪魔なドレスは先程自らの意思で脱ぎ捨てたから身軽ではあるけれど、挫いた足では追いかけっこは無理そうだ。
 エレナは手に持っていたノーラの研究記録を握りしめる。

「……私に命乞いをしてノルディアのために歌えってこと?」

 希望をちらつかせた後で、絶望に叩き落とす。それがノルディアの常套手段だ。

「……ルル」

 耳を澄ませてもまだ、彼の声は聞こえない。正直に言えば怖くて足がすくむ。
 だが、立ち止まってはいられない。
 大丈夫、と深呼吸をしたエレナは髪紐を解くとそれでノーラの研究記録を身体に固定する。

「時間、稼がなきゃ」

 時間さえ稼げればここがどこであっても絶対にルヴァルが迎えに来てくれる。

「ノルディアのためになんか、歌うもんですか!」

 逃げ切ってみせると強い意志を宿した紫水晶の瞳は、音のする方を睨みつけそう宣言すると耳を澄ませ近づいてくる音との距離を測る。
 
『俺、"逃げ専"なんだよ』

 と言いながらノクスは音の特性と魔法への応用について教授してくれた。魔物相手に向こうの得意なフィールドに立つ必要はない、とノクスは言った。

「音、は波。秒速340、時速1200で空気を振動させて進むエネルギー」

 魔力回路が完全回復したのがつい先程のことなので実践は初めてだ。だが、やるしかない。

「振動させるエネルギーを圧縮。威力が落ちるから、遮蔽物には気をつける」

 エレナはノクスの話を思い出しながら魔法式を指で描き組み立てる。
 エレナの目が遠くに紅い目を光らせた黒い塊を捉えた。
 それと同時に異形のそれらはエレナを視認した途端一気に距離を詰めに来た。

「……速いっ!?」

 妖しく光るいくつもの紅い眼に留まる。その光景は否が応でも、エレナに魔力回路を焼き切り全てを失ったあの日の事を思い出させたが、

「"まっすぐ"なら私の方が速い!!」

 魔物の心臓部である魔核の音を聞き取った瞬間、エレナはその方向に向かって多角的に音の魔法を展開させた。
 エレナから放たれた高速音は空気を震わせ圧縮されたエネルギーとして魔物の弱点を的確に貫く。そして魔物だったモノ達は綺麗に全て離散し、消えた。

「……でき、た」

 ほっとして崩れ落ちそうになる足を叱咤してエレナは足を引きずり歩き出す。
 絶対にルヴァルの元に帰る。エレナの中にあったのはそれだけだった。

 強風が駆け抜ける気配に足を止め、身を固くする。風に煽られた途端、視線が地面に落ちてしまった。

(ここから落ちたら、きっと私は死んでしまうわね)

 それでもエレナの中に恐怖心はなかった。

(絶対、帰るの)
 
 自らがいたいと望む場所に。
 大切な人達が待っていてくれるあの場所に。

「負け、たくないっ! こんなところで……絶対、負けない」

 エレナは自らを奮い立たせるように、前を向く。
 決めたのだ。
 これから先、どれほどこの身や心を傷つけられたとしても、愛してくれた彼に恥じない自分であるために絶対に俯いたりしない、と。

「私はもう……ルルのためにしか、歌わない」

 目を閉じて浮かんでくるのは真っ直ぐに自分を見つめる青灰の瞳で。
 叶うなら今すぐルヴァルに会いたくてたまらない。
 会えたらきっといつもみたいに少し乱暴な手つきで、だけどとても優しい眼差しで髪をぐしゃぐしゃに撫でながらよくやったと褒めてくれるに決まっている。
 だからーー。
 刹那、エレナは耳が拾った音に足を止める。
 はじめに空から拾ったのは、魔物の叫び声。空中にいる存在を相手になんて……と思った瞬間、聞き取ったはずの音が次々と消えていく。
 そうして淘汰された音の先で、エレナは聞き間違えるはずのない音を拾う。

「ルルー!!」

 自らの居場所を伝えるように、力の限り叫けべば、空から音もなくふわりと黒い塊が落ちて来てゆっくりエレナの前に立つ。
 月の光を受けて輝く雪をおもわせる銀色の髪と青灰の瞳。真っ黒な外套をはためかせたルヴァル・アルヴィンその人だった。

「すまない、レナ。遅くなった」

 低く優しい声が耳に届くと同時に、エレナはその胸に飛び込む。

「へ……き、来てくれるの……分かって、た……から」

「ああ、こんなに怪我をして」

 ルヴァルは心配そうな声でそう言いながら、エレナに自身の外套をかけてやる。敵の拠点を見つけ出すのに想定以上の時間がかかってしまった。
 伸ばした手に頬擦りをするように顔を寄せ、ふわりと笑ったエレナを見て心の底から安堵する。
 ルヴァルはエレナを抱き寄せて、

「本当に、良く頑張った」

 と耳元で囁く。

「だって私はルルの妻だもの」

 そう言って得意気に言い返したエレナの耳が空中で戦っているドラゴンの鳴き声を拾う。
 まだ、終わりじゃない。だけどもう大丈夫、とエレナはルヴァルを抱きしめ返しながら強く思う。

「ルルの憂いは私が払う」

 彼の悪夢は今日、この場所で終わらせる。

「あなたのためにしか、私は歌わない」

 ゆっくりと空気を吸い込むとエレナは、魔力を込めて静かに歌を紡ぎ出す。
 カナリアとして紡ぐ癒しの力を乗せた"応援歌"。それはドラゴン達の潜在能力を引き出してくれるはずだ。
 空中戦は彼らに任せればいい。

「ルル、決着をつけに行きましょうか?」

 運命の分岐点(ルート)は音を立てて変わり始めた。
 ならば、あとはそれを掴むだけ。

「ああ、当然だ」

 ルヴァルはいつも通り不遜な物言いでそう言うとエレナを抱えて走り始めた。
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