エリート弁護士の執着愛
終章
優一さんと交際を始めて二年。
一年ほど前に籍を入れて、先月、結婚式を終えたばかりだ。
結婚後は、私の実家から近い場所にマンションを買い、そこで二人で暮らしている。
今日は、ある報告のために実家を訪れていた。優一さんが駐車場に車を停めて、助手席のドアを開けてくれる。
礼を言って車を降りると、ふと違和感を覚えた私は、通りの向こうに視線を向けた。
「あれ……」
仙崎家と通りを挟んで反対側の家に、売物件の看板が立てられている。そこは奥野家、つまり太一の家族が住んでいたはずだ。
あれ以来、太一の姿も見ていないが、就職活動をことごとく失敗しているらしいという話はお父さんから聞いていた。
そして太一の父親も、会社を譲渡した金で借金はなんとか返せたようだが、新しい職場で人に使われることが我慢ならず逃げだしたという。
「育実? どうした?」
「あ、ううん、なんでもない。入ろう」
「あぁ」
チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開けられた。
どうやら車の音で到着がわかったらしい。
「早かったわね。育実、体調はどう? 無理しちゃだめよ。優一くんもあがってあがって」
母にだけはあらかじめ電話で報告をしておいた。私はまだぺったんこの腹部に手を置き「わかってる」と笑みを返す。
優一さんと共にリビングに行くと、真四角のテーブルを囲みソファーに腰かけた。両親の前に私たちが横並びに座る。
テーブルにはすぐに飲めるようにポットと茶葉が用意されていた。パッケージをよく見ればノンカフェインの茶葉であるとわかる。
母の気配りに感謝しながら、私はお父さんに向けて口を開いた。
「あのね、お父さん……実は」
私が妊娠したことを伝えると、案の定、父ははらはらと涙をこぼした。
私と優一さんの手を掴み、何度も「ありがとう」と言うお父さんの姿は、優一さんに妊娠を知らせたときの姿を思い起こさせる。
彼も目を潤ませながら、私に「ありがとう」と言ってくれた。
「育実に似た可愛い女の子がいいか……いや、育実に似た男の子も可愛いだろうな。そういえばうちのカメラはもう古くなってたな。新しいのに買い換えるか」
「お父さん! 気が早すぎるってば! 服とかおもちゃとか送ってこないでよ?」
「え、だめなのか……じゃあ、優一くんと一緒に子ども用品を見に行くのは?」
しゅんと肩を落とすお父さんを見ているとだめとも言いにくく、隣に座る優一さんも苦笑気味だ。もともと私を溺愛している父だから、こうなることも予想の上で、母で報告をとめていたのだ。
「優一さんだって忙しいんだからね!」
「まさか忙しくて育実を放置しているわけじゃないだろうね」
「どうしてそうなるの! そんなわけないでしょ!」
父の言葉に私が反論すると、おっとりした母がやれやれと肩を竦めて、切ったオレンジをテーブルに置いた。
「育実、ジュース類はあまり飲めないだろうけど、果物は栄養にもいいわよ」
「ありがとう。いただきます」
お父さんと優一さんの話を聞きながら、オレンジを食べていると、いつの間に持ってきていたのか父の愛用のカメラがこちらを向いていた。
「お父さん、もう私三十歳になるんだけど……」
「いいじゃないか。いつまで経っても子どもは子どもだ。何歳まで撮れるかわからないんだから」
「もう、そういうこと言わないで。いつまでも元気でいてよ。今度は私じゃなくて、孫を撮ればいいでしょ」
「そうですよ。お義父さんには、二人目も三人目も撮ってもらうつもりでいますから」
な、と優一さんから目を向けられて、私は頬を赤らめながらも頷いた。
私も優一さんも一人っ子だからか、きょうだいに憧れている。どうなるかはわからないけれど、もしそうなったとしたら、両親が産前産後の手伝いを買って出てくれるだろう。
「そうそう、頼る気満々でいるからね」
「そうか……育実もこんなに大きくなったんだなぁ」
また泣き始めるお父さんはお母さんに任せて、私たちは帰ることにした。
週に一度は顔を出しているし、お母さんがマンションに来ることもあるため、役所の手続き前に報告に寄っただけなのだ。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「オレンジたくさん買ったから、持って帰りなさい」
「お母さんありがと」
オレンジがごろごろと入ったビニール袋を受け取り、車に乗り込んだ。
優一さんが運転する車で役所に妊娠届けを出して、母子手帳をもらう予定だ。
「具合は悪くないか?」
「うん、大丈夫」
「あまり無理して出社するなよ。仕事はなんとかなるんだから」
「心配性。お父さんみたいよ?」
「仕方ないだろ。男にはわからない感覚なんだ」
それもそうか。お互い一人っ子だから、幼い子に触れあった経験もほとんどない。妊娠も子育ても未知の経験への不安感はあったが、優一さんも同じだったのかもしれない。
区役所で妊娠の届け出をすると、すぐに真新しい母子手帳を渡された。
ボールペンを借りて、その場で名前を書いていく。
母の欄、久能育実。
父の欄、久能優一。
そして、一ページ目に一週間前にもらったばかりのエコー写真を挟み入れた。
「二人で頑張ろうね」
そう言うと、私の手に優一さんの手が重ねられた。
「そうだな」
了
優一さんと交際を始めて二年。
一年ほど前に籍を入れて、先月、結婚式を終えたばかりだ。
結婚後は、私の実家から近い場所にマンションを買い、そこで二人で暮らしている。
今日は、ある報告のために実家を訪れていた。優一さんが駐車場に車を停めて、助手席のドアを開けてくれる。
礼を言って車を降りると、ふと違和感を覚えた私は、通りの向こうに視線を向けた。
「あれ……」
仙崎家と通りを挟んで反対側の家に、売物件の看板が立てられている。そこは奥野家、つまり太一の家族が住んでいたはずだ。
あれ以来、太一の姿も見ていないが、就職活動をことごとく失敗しているらしいという話はお父さんから聞いていた。
そして太一の父親も、会社を譲渡した金で借金はなんとか返せたようだが、新しい職場で人に使われることが我慢ならず逃げだしたという。
「育実? どうした?」
「あ、ううん、なんでもない。入ろう」
「あぁ」
チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開けられた。
どうやら車の音で到着がわかったらしい。
「早かったわね。育実、体調はどう? 無理しちゃだめよ。優一くんもあがってあがって」
母にだけはあらかじめ電話で報告をしておいた。私はまだぺったんこの腹部に手を置き「わかってる」と笑みを返す。
優一さんと共にリビングに行くと、真四角のテーブルを囲みソファーに腰かけた。両親の前に私たちが横並びに座る。
テーブルにはすぐに飲めるようにポットと茶葉が用意されていた。パッケージをよく見ればノンカフェインの茶葉であるとわかる。
母の気配りに感謝しながら、私はお父さんに向けて口を開いた。
「あのね、お父さん……実は」
私が妊娠したことを伝えると、案の定、父ははらはらと涙をこぼした。
私と優一さんの手を掴み、何度も「ありがとう」と言うお父さんの姿は、優一さんに妊娠を知らせたときの姿を思い起こさせる。
彼も目を潤ませながら、私に「ありがとう」と言ってくれた。
「育実に似た可愛い女の子がいいか……いや、育実に似た男の子も可愛いだろうな。そういえばうちのカメラはもう古くなってたな。新しいのに買い換えるか」
「お父さん! 気が早すぎるってば! 服とかおもちゃとか送ってこないでよ?」
「え、だめなのか……じゃあ、優一くんと一緒に子ども用品を見に行くのは?」
しゅんと肩を落とすお父さんを見ているとだめとも言いにくく、隣に座る優一さんも苦笑気味だ。もともと私を溺愛している父だから、こうなることも予想の上で、母で報告をとめていたのだ。
「優一さんだって忙しいんだからね!」
「まさか忙しくて育実を放置しているわけじゃないだろうね」
「どうしてそうなるの! そんなわけないでしょ!」
父の言葉に私が反論すると、おっとりした母がやれやれと肩を竦めて、切ったオレンジをテーブルに置いた。
「育実、ジュース類はあまり飲めないだろうけど、果物は栄養にもいいわよ」
「ありがとう。いただきます」
お父さんと優一さんの話を聞きながら、オレンジを食べていると、いつの間に持ってきていたのか父の愛用のカメラがこちらを向いていた。
「お父さん、もう私三十歳になるんだけど……」
「いいじゃないか。いつまで経っても子どもは子どもだ。何歳まで撮れるかわからないんだから」
「もう、そういうこと言わないで。いつまでも元気でいてよ。今度は私じゃなくて、孫を撮ればいいでしょ」
「そうですよ。お義父さんには、二人目も三人目も撮ってもらうつもりでいますから」
な、と優一さんから目を向けられて、私は頬を赤らめながらも頷いた。
私も優一さんも一人っ子だからか、きょうだいに憧れている。どうなるかはわからないけれど、もしそうなったとしたら、両親が産前産後の手伝いを買って出てくれるだろう。
「そうそう、頼る気満々でいるからね」
「そうか……育実もこんなに大きくなったんだなぁ」
また泣き始めるお父さんはお母さんに任せて、私たちは帰ることにした。
週に一度は顔を出しているし、お母さんがマンションに来ることもあるため、役所の手続き前に報告に寄っただけなのだ。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「オレンジたくさん買ったから、持って帰りなさい」
「お母さんありがと」
オレンジがごろごろと入ったビニール袋を受け取り、車に乗り込んだ。
優一さんが運転する車で役所に妊娠届けを出して、母子手帳をもらう予定だ。
「具合は悪くないか?」
「うん、大丈夫」
「あまり無理して出社するなよ。仕事はなんとかなるんだから」
「心配性。お父さんみたいよ?」
「仕方ないだろ。男にはわからない感覚なんだ」
それもそうか。お互い一人っ子だから、幼い子に触れあった経験もほとんどない。妊娠も子育ても未知の経験への不安感はあったが、優一さんも同じだったのかもしれない。
区役所で妊娠の届け出をすると、すぐに真新しい母子手帳を渡された。
ボールペンを借りて、その場で名前を書いていく。
母の欄、久能育実。
父の欄、久能優一。
そして、一ページ目に一週間前にもらったばかりのエコー写真を挟み入れた。
「二人で頑張ろうね」
そう言うと、私の手に優一さんの手が重ねられた。
「そうだな」
了


