契約結婚のススメ〜騎士団長の雇われ妻になりまして〜

妻ですが、なにか?

 クッションに金糸の刺繍がふんだんに施されたふかふかの座席。振動はさほど感じず、馬車の中とはまるで思えない。
 狭い乗合馬車しか乗ったことのないリーゼは王女らしく、仕立てのいい外出着を身にまとい、非常に居心地悪く座っていた。

 この分不相応な場所から早く抜け出したい。
 馬車が国境の関所を抜けるまで、あと一時間ほどだろうか。
 アディンセル公爵が王女を狙うとすれば、事を構えるのは十中八九エルドラシア国内だ。ミスティア入国後にエルドラシアの賊がフィリス王女を襲ったならば、たちまち国際問題に発展し、国内だけでは収拾がつかなくなる。
 だからリーゼがお役御免になるのも、あと少しの辛抱だった。

 あと少し、あと少し……
 膝の上で拳を作り、何事も起こらないよう懸命に祈っていた、その時。

 馬車の速度がにわかに上がった。ガタガタと車体が揺れ始め、バランスを崩したリーゼの背が座席の背もたれに打ちつけられる。

『な、なに……?』
『どうやらきたようね』

 リーゼの隣に座る、侍女に扮した女騎士のベルが眼光を鋭くした。
 何が、と言わずとも理解できた。
 
 敵襲だ。

 耳を澄ますと、馬車の揺れる音に混じって怒声が聞こえる。金属がぶつかり合って聞こえるのは剣戟の音だろうか。時折聞こえる炸裂音は、もしかすると銃声……?

 リーゼの心臓が早鐘を打ち出す。ベルのスカートを縋るように掴み、襲いかかる恐怖に堪えた。

 争う音は次第に大きくなり、何かが突き刺さるような音が衝撃と共に飛び込んでくる。
 リーゼは身を縮め、何事もなく嵐が過ぎ去ってくれることをひたすら懇願した。
 
 が、そこへふと、焦げ臭い匂いが鼻腔をかすめる。異変を察知し顔を上げると、ベルが顔を歪めて舌打ちをしていた。

『まさか火まで使ってくるとは。王女の命はどうでもいいってこと?』
『火?火って……この馬車が燃えてるってことですか……?!』

 鼻が曲がりそうな、煙と思しき臭いはどんどんと濃くなっていく。
 だが、自分の乗る馬車が燃えているという絶望的な事態を受け入れたくなくて、リーゼは顔面蒼白になりながら否定してほしい一心でベルに訊ねる。
 リーゼの淡い期待とは裏腹に、ベルは重々しく頷いた。
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