その溺愛、契約要項にありました?〜DV婚約者から逃れたら、とろ甘な新婚生活が待っていました〜

89 長い夜⑤

話し込んでいたせいで、用意されていたお茶はすっかりぬるくなってしまっていた。
これだけのために、下がらせたメイドたちを呼び出すのも忍びないという事で、私達は早々にベッドに入る事にした。

彼の腕に頭を預け、ぽつりぽつりと、このところリドックの介入によって起こった取引先の契約解除について説明すると、彼は眉を寄せて「その件も聞いてみる事にするよ」と約束してくれた。

次いで、彼の身に起こった事……エリンナとディノからの学生時代のリドックの証言を聞かされて私は目を丸くする。
「ディノは顔は分かるけれど……話したことがないから良く知らないわ。それより、エリンナがそんな事を? 卒業してからも何度か顔を合わせていたのに全然そんな事言っていなかったわ」

「君との関係がどの程度なのか分からなかったから彼女の証言は少し半信半疑だったんだ。その上彼女には、殿下と因縁があるから、どうしても……ね」

言いずらそうにしている彼の言葉に、私も「あぁ…」と相槌を打つ。

「殿下側の侍従の立場からしてみたらそうよね。殿下……だいぶ引きずっていらしたものね」

エリンナが殿下に別れを告げて領地に引っ込んでからしばらく、王女殿下とのお茶の度に王女殿下伝いにさりげなく……といいつつかなりあからさまに彼女の近況を聞かれたりしたのを覚えている。

「全く、いつまでもぐずぐずと……煮え切らなかったお兄様が悪いのに、本当に情けないわ!」と毎度王女殿下がごねていたのも定番の流れだった。

「彼女もなかなか奔放な方だから、今回のように殿下が忘れた頃に存在を表して、またかき乱して、今回はおそらくわざとご夫婦の仲睦まじさを見せつけておられたから……俺への忠告も嫌がらせなのかと……」

辟易した様子の彼の言葉に、私はクスクスと笑いを漏らす。
「それは随分と、エリンナも大人げない事をしたのね……まぁそれだけ彼女の怒りも強いという事ね」

「怒り、か……しかし離れていったのは彼女じゃないか? 殿下は振られたと言っていたし……」
怒るのは殿下の方なのではないか、と心底不思議そうな彼に、私は当時エリンナが苛立ちを交えて話してくれたことを思い出す。

「違うわ。確かにエリンナから別れは告げたけれど、彼女にそうさせたのは殿下だもの。殿下には隣国の王女殿下という決まった変えられない婚約者がいらっしゃった。それは彼女も理解していたから殿下の事をお慕いしていてもその気持ちは封じていたはずよ? でもそこに踏み込んで、彼女を離してくれなかったのは殿下だったわ」

エリンナは何度も何度も離れようとしていた。「いくら国同士の政略結婚とはいえ、嫁ぐ相手に忘れられない恋人がいたなんて知ったら、嫁いで来られる王女殿下だっていい気はしない、私の事でこの国の未来の国王夫妻に禍根を残したくない」度々そう言っては殿下に別れを切り出していたらしいが、殿下がそれを許そうとはしなかった。
「政略結婚の事は、白紙にできるように働きかけているところだ……俺が結婚なんてしなくても、隣国との均衡は保てるはずだから、今はそれを模索している」と再三にわたり自分達は別れる必要はないのだと説得され、殿下を信じたい気持ちの残ってるエリンナもよりを戻したりしていたのだ。

しかし一向に殿下の政略結婚の話はなくならないし、殿下が動いている兆しもない、公爵令嬢であるエリンナには早々に婚約の話が舞い込んで来る。
しびれを切らせた彼女はある時を境についに決断したのだ。
「もう少し待って欲しい」と縋る殿下を振り切って、領地に戻ってしまったのだ。
そして、しばらくして数年前から再三にわたり好意を伝えてくれたいた、今の夫の手を取ったのだ。

「いい加減に甘い事を言っていないで、現実を見なさい。って殿下に伝えたかったのではないかしらね? もうあがいても自分は手に入らない所にいるのだから……って」

あくまで私の視点だけど……と告げて夫を見れば、彼は非常に渋い顔をしていた。

「何度も彼女の気分で別れと復縁を繰り返していた裏は、それだったのか……」

「殿下からはその時のやり取りを聞いていないの?」

彼はゆっくり首を横に振る。

「ない。殿下は別れを告げられると、しばらく声もかけられないほど落ち込んでしまっていたし、復縁が叶うと舞い上がってそんな辛いことがった瞬間があった事すら忘れてしまったように上機嫌だったから……」

「あえて蒸し返すことでもないものね……それで、殿下の侍従の方からしたら、殿下はエリンナの奔放に振り回されていたという認識だったのね」

「どうやらその通りだ」

彼は額に手を当てて参ったように大きく息をついた。

「エリンナは頭のいい子だし、当てつけのためなんかに友達を利用するなんて事はしないわ」

少し怒ったような口調で抗議すれば、彼は「いや、そうだな、本当にすまない」と反省した様子で目を伏せた。


「エリンナは……幸せそうだった?」
反省のためか口を噤んでしまった彼を見上げて問う。
エリンナとは季節の折々でカードを送るなどしてやり取りはあったものの、顔を合わせたのは彼女が殿下を見限って振り払うように王都を発って以来だった。
最後に会った時には、努めて明るく振舞っていたようには見えたけれど、その笑顔はどこか寂し気だったから、どうか幸せになって欲しいと願わずにはいられなかった。


私の問いに、彼はまたゆっくりと私の背をなでながら、「あぁ……」と頬を緩めた。

「どうやらロードモンド卿がベタぼれらしいね。とても大切にされていたし、彼女もとてもリラックスして……甘えていたように見えたよ。うらやましいほどお似合いだった」

うらやましい。二人を見て彼がそう思えるほどに幸せだった……それはとても喜ばしい事だけれど

うらやましい……彼もそうした相手に出会いたかったのだろうか
何気ない言葉が胸の奥にズシリと引っかかる。

「そう……良かった」
なんとかそう言って微笑むと、彼の長い指が私の頬を撫でて、そしてゆっくりと口づけが落ちて来た。
< 89 / 129 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop