婚約破棄されたら「血みどろ騎士」に求婚されました
 国王に勧められ、ルディのエスコートを受けたアニスは少々ぎこちない表情で庭園へとやって来た。
 人払いがしてあるのか、庭園はひどく静かだ。聞こえるのはさらさらと流れる噴水の音と、木々を飛び回る小鳥のさえずりのみ。
 選りすぐりの職人が手掛けた素晴らしい庭園は、それはそれは心安らぐ景色だが──アニスは逆に緊張してしまっていた。

(……どうしましょう。何を話せば……辺境伯領の特産品についてとか? いえ、辺境伯様は武人でいらっしゃるから馬のお話とか……でも軍馬の良し悪しなんて素人のわたくしには少し)

 王太子妃教育によってかなり緩和されたものの、アニスは生まれつき会話が得意ではなかった。パーティーでも茶会でも軽やかな話術を披露する令嬢たちに後れを取らぬよう、前もって幾つか話題を準備するのが当たり前で、それが叶わぬときは聞き手に徹して注意深く情報を拾って──と淡い笑みの裏側で必死に食らいつかねば、あっさりと置いて行かれるような有様だった。
 しかも今日の話し相手はルディだ。口数が少ないのは勿論、彼は外交相手でも何でもない、そしてなんと昨日求婚してきた男性である。
 端的に言って気まずい。それから何となく恥ずかしい。

(とにかく何でもいいから話さなくちゃ。そうだわ! 昨日わたくしを助けてくださったことのお礼を)

「公爵令嬢」
「ひゃい!」

 裏返った声で返事をして恥ずかしがるのも程々に、無意識のうちにぎゅうっと彼の腕を締め上げていたことに気付いたアニスは、パッと手を離してから再びエスコートに相応しい力加減で添え直す。
 そして何事も無かったかのように淑女の笑みを浮かべたアニスに、目を瞬かせたルディは一瞬の後に小さく吹き出した。

「突然声を掛けて悪かった。驚かせてしまったな」

 アニスは笑顔を維持したまま、じわじわと顔を赤くさせて俯く。

「……お相手の失態は、知らぬ振りをするのが、よろしいかと」

 そうして蚊の鳴くような声でついつい文句までこぼしてしまえば、更に肩を揺らしたルディが「すまない」と楽しそうに笑う。

「いつも凛としている貴女が慌ただしく動いたものだから、可愛くて」

 可愛い──家族にしか言われたことのない褒め言葉が、まさかのルディから飛び出したことにアニスはとても動揺した。
 そのついでにまたもや足を縺れさせ、傾いた体を昨日と同じように軽々と抱き止められる。
 何をやっているのかと、アニスは湯気が出そうなほど熱い顔を伏せた。

「も、申し訳ありません」
「いや、役得だ。この無駄にでかい図体が戦い以外でも役立って良かったよ」
「……無駄なんて。辺境伯様は様々な脅威からわたくしどもを守ってくださっているのですから、どうかそのような卑下はなさらないでください」

 驚いたり照れたり躓いたり窘めたり、何とも忙しない女だと、アニスは自分で頭を抱えたい気分であった。
 しかしルディは気分を害した様子もなく、寧ろ嬉しそうにするばかりで。黒髪をサイドバックにしているおかげで露わになった目元を、ほんのりと和らげて彼は言う。

「王都の貴族は俺を『血みどろ騎士』などと呼んでいるようだが?」
「一部の心ない方々が、辺境伯様のご活躍を妬んだのでしょう。でなければあのような悪意ある誇張はとても……」

 アニスはそう話しながら、ふと言葉を途切れさせた。
 視線を感じて見てみれば、ルディが穏やかな目付きでこちらを見下ろしている。社交用の笑みとはまた違う、例えるなら恋人でも眺めるかのような甘い眼差しに、アニスはどぎまぎとしてしまった。

「あの……?」
「貴女は変わらず優しいな」
「え?」
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