疫病神の恋
「部長には僕から連絡を入れておきました。僕も、今日はこのまま休みます」

 手渡されたペットボトルのお茶を、躊躇いつつも受け取る。
 
 火の粉を浴びてしまったからか、彼の着ていたスーツはところどころ焦げて穴が開いている。
「スーツ、弁償します」
「必要ありません。僕が勝手にしたことです」

 それよりも、と上着の内ポケットから取り出したものを、彼が手渡してくる。

「これも、咄嗟にポケットに入れてしまいました」
 それは、写真立てだった。中の写真には、幼い頃の幸と両親が、満面の笑みで写っている。

 込み上げてくる涙をせき止めることなんて、到底できなかった。人前でこんなふうに泣いてしまうなんて恥ずかしいとか、情けないだとか、そんなことを考えることもできないほどに。

「ありが、…ます。ほんと、に……っ」
 息が詰まって、まともにお礼の声も出せない。

 それは、三人で最後に撮った家族写真だ。幸せな時間は、確かに存在した。自分は望まれて生まれ、愛されて育まれた子だった。
 それさえ忘れなければ、まだ大丈夫。またひとりで頑張れる。
 でも、いつまで頑張ればいい?
 好きで独りでいるわけじゃない。一緒に連れて行ってほしかったと思った夜もある。あと何度そんな夜を過ごせばいいのだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、彼の力強い声が、幸を現実に引き戻した。

「結城さん、ここに住みませんか?」
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