疫病神の恋
 ひいらぎ、ゆうせい。心の中で繰り返してみると、そちらの名前の方が彼にしっくりと嵌まる気がした。
 俄かには信じがたい。

 理由は分からない。けれど、嘘をつかれていた。話しかけてきてくれたことも、優しくしてくれたことも、今となっては全て疑わしく思えてくる。
 どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、もう何もわからない。考えたくない。

 幸の混乱などお構いなしに、電話の向こうで桃香が喋り続ける。
『疫病神のあんたが、まさか彼と付き合ってるわけでもないでしょう?彼にも忠告しておいてあげたわよ。幸と一緒にいるとよくないことが起こるので気をつけてくださいね、って』
「そんな——」
『実際、あんたが出て行ってから平和になったわ』
 せっかく積もった新雪を踏み荒らすように、桃香は無遠慮に足跡をつけてくる。
『パパの病状は回復したし、ママも随分と穏やかになった』

 ここ数年落ち着いていた心が、あっというまにぐしゃぐしゃに散らかされる。

——わたしなんて、いない方がいいのかもしれない。

 昔、幾度となく陥った思考回路は、消えてなくなったわけではなかった。
 光のある方へ這い上がるのは困難なのに、闇に落ちるのは一瞬だ。

「……ごめんなさい。偶然会っただけで、わたし彼のことは何も知らないの」

 なによ使えないわね、という桃香の声を聞き終わらないうちに、通話を切って電源を落とした。

 ひとりで生きてきた。そしてまた、ひとりに戻るだけ。
 ただそれだけなのに、前よりもずっと、もっと、孤独になった気がした。
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