疫病神の恋
「ここでひけらかす気はありませんが証拠はあります」
「で、でもあたしのパパが倒れたのは本当よ!それに幸の両親だってその子を庇ったせいで死んだんじゃない!」

 バシャッ!水が弾ける音がした。
 幸の震える右手に握られたガラスコップが、空になっている。
 自分が桃香に水を浴びせてしまったことに、幸は一拍遅れて気が付いた。

「ご、ごめ——」
 咄嗟に謝りそうになった幸の震える右手に、彼の手が重ねられた。ハッとして彼を見ると、謝ることはない、というように静かに首を振っていた。

「あなたのお父さんからも話を聞きました。もともと検診で引っかかっていたそうです。忙しさを理由にずっと放置していたから自業自得なんだとおっしゃっていましたよ。むしろあれで後遺症も残らなかったんだから幸運だった、とさえ」
 ぽたぽたと水を滴らせながら、青ざめた桃香が震えている。
「それは……」
「彼女の両親が亡くなったのも、路面凍結による不幸な事故です。娘を庇って亡くなったのは、自分の命よりも幸さんのことが大切だったからです。それなのに……。僕はあなたが許せない」

 部屋の温度さえ下がってしまったように感じられるほどの冷たい声。
「友人をも奪われて、この人がどれほど孤独を味わったか想像できますか?」

 すっかり色を失くした桃香の唇が、それでも抵抗を示す。
「あ、あたしにどうしろって言うのよ。そんなの今更どうしようもないじゃない!」

 そう。過ぎた時間は取り戻せない。失ったものは失ったまま。ついた傷も、なかったことにはならない。
 幸が身につけてしまった人と距離を取る癖も、性格も、簡単には変われないだろう。

「誠心誠意、幸さんに謝罪してください」
「なんであたしが……。嘘じゃない!本当にこの子が不幸を呼び込んだのよ!全部、幸のせいなんだから!」

 桃香が幸を睨んだあと、勢いよく立ち上がり部屋を飛び出していった。

 嫌な予感がして、咄嗟に追いかける。

 自動ドアをこじ開けて歩道に出て左右を見ると、走り去っていく桃香の背中を見つけて、全速力で駆けた。

 桃香が向かっている歩行者信号の緑色が点滅しているのが見える。
 完全に赤に切り替わったのに、桃香が止まる気配はない。

 車のクラクションが響いた。

「幸っ!」
 同時に、後ろから悠生の声が聞こえた。
「来ないでっ!」
 幸は悠生に向かって叫び、道路に飛び出した桃香の腕を力いっぱい引っ張った。
 その反動で、幸の体が道路側に投げ出された。桃香が歩道側に尻もちをつく光景が、スローモーションのように見える。

 よかった。今度は、自分が助けるがわにまわることができた。そう安堵したところで、幸の意識がふつりと途絶えた。
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