疫病神の恋
 居酒屋の戸をカラカラとずらして暖簾をくぐると、わっと歓声が上がった。
「あの結城さんが参加してくれるなんて!」
「悠生、どんな手を使って説得したんだよ」

 歓迎会をする必要があるのか疑問を抱くほどすっかり会社に馴染んでいる彼の周りには、自然と人が集まってくる。

「うれしい、私ずっと結城さんとお話したいと思ってたんです」
「俺も俺も!結城さん、話しかけないでオーラがすごかったから」
 困ったことに、幸の周りにも何人か集まってきている。
「あ、あの、えっと……」
「結城さん、こっちへどうぞ」
 案内され、そのまま隣に彼が座る。

 いきなり沢山の人から囲まれないようにと、隅に置いてくれた心遣いが有り難い。

「今日は参加してくれてありがとう」
 向かい側の鈴木部長から、そう声をかけられた。
「いえ。……いつも断ってしまっていて、すみませんでした」
 部長が、孤立している幸を気にかけていることには、なんとなく気が付いていた。

 協調性のない幸が、職場でいじめなどの悪意に晒さていないのは、おそらく部長が取り成してくれているからだろう。
「あの…、いつも、ありがとうございます」
「ん?なんのことかわからないけど、どういたしまして」
 隣から悠生が割って入る。
「僕も仲間にいれてください」
「お、妬いてるのか?」

「そうです、妬いてます。ふたりで秘密の話なんてしないでください」
「ちょっ…、鈴木さん酔ってるんですか?」
 酔っていませんよ、という部長と彼の声が重なった。

「結城さん、僕を下の名前で呼んでもらえませんか?皆さん、そうしてくれています」
「っそ、それは……」
 覗き込むように見詰められて、体が内側から熱くなって変な汗が滲んでくる。グッと背中を仰け反らせて距離をとろうとしたとき。

 隣のテーブルからガシャン、という音が聞こえた。

 ついさっき話しかけてくれた佐々木先輩が、右手を庇っている。
「手が滑った!ちょっとだけ切っちゃった……」
 ぽとりと一滴の鮮血が、テーブルに落ちた。
 それを見た途端、身体が震えだす。

「き、さん——結城さん…!どうかしましたか?」

 悠生が、心配そうに幸の肩に手を伸ばしてきた。
 パシン!
 反射的に思い切り振り払い、それがまともに当たってしまった。

「ご、ごめんなさ……」

 ジンジンと痺れるような痛みが、自分が人を叩いてしまったのだという事実を突きつけてくる。
 逃げるように席を立ち、怪我をした佐々木の元に行き、絆創膏を数枚テーブルに置いた。

「ありがとう。大した怪我じゃないけど、使わせてもらうね」

 彼女の手元を見るとすっかり血は止まっていて、傷の浅さにホッとした。

「すみません。わたし、用事を思い出したので帰ります」
 振り返らずに、店を出た。
 彼女が怪我をしたのは、きっと幸に好意的に話しかけてきたからだ。

——なんで、大丈夫だと思ったんだろう。わたしは、疫病神なのに
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