ブルー・ベリー・シガレット
大学を卒業して念願の一人暮らしを始めた。
都内の単身用マンション。基本的に飽き性なので、かなり頻繁に引っ越しているような気がする。ここに引っ越してきてからまだ一ヶ月も経たないので、ほとんどの住人と顔を合わせていない。
「おはようございます」
朝、寝ぼけ眼でゴミを捨てに行くと先にゴミ捨て場にいた女性に挨拶された。
こちらを振り返るすっぴんと思われる顔立ちは幼いが、ごみを纏める手捌きは慣れている。大学生だろうか。無言で眺めていると、視線を上げた彼女とばっちり目が合ってしまう。
その瞬間、見えない弓矢に射抜かれたかのように心臓の中心をずぐんと痛みが突き刺した。雷に撃たれたような感覚もある。胸のあたりが麻痺とよく似た感覚に支配されて呼吸が苦しくなった。
小動物を思わせる愛らしい顔立ちと、それに似合わない冷ややかな視線。それは俺がめったに向けられることがないものだったので緊張した。
「お、はようございます」
俺の低俗さを見透かすような眼差しから逃れるように、俺は慌てて他所行きの笑みを浮かべながら挨拶を返した。ご近所さんだもの、悪い印象を与えてないといいけどな。
このとき、俺は確実に傲慢だった。自分が微笑むことで相手の気を引く、それが当然だと思っていたのだ。
そんな恥ずかしい予想は簡単に裏切られ、こくんと彼女はそれに対して浅く頭を下げただけ。そして何事もなかったかのように背を向けて、マンションの中へ戻っていった。
正直にいう。くしゃっと寝癖のついた短い髪も子どもみたいな透明感も柔らかな声も、めちゃくちゃ好みだった。だから自分の容姿が女性からの評価を得やすい自覚を持ったうえで、薄っぺらい微笑みを披露したのだ。
しかし今となっては自分の胡散臭い笑顔なんかに女性なら誰しも引っ掛かるという過剰な自意識が恥ずかしい。ほんと、傲慢でしかない。彼女は単純に同じマンションの住民として挨拶してくれただけだったのだ。
わりと何でも卒なくこなしてきた俺が、久々に味わうぎゅうんと絞られるような羞恥心。思いっきりゴミを投げ捨てて八つ当たりした後、ばくばくと激しい鼓動を抱えながら自分の部屋に戻った。