ブルー・ベリー・シガレット


 エレベーターに先に乗り込んだ彼女が、ボタンを押して扉を開けておいてくれた。よくある行動だが、彼女が俺のためにしてくれたと思うと感動して赤飯を炊きたい気持ちになった。


「あの、なにか言いたいことあるんですか?」


 彼女が目を細めて不審そうに問いかける。さすがにそわそわしすぎたらしい。

 言いたい、聞きたいことなら星の数よりも多くある。お名前はなんていうんですか? おいくつですか? 毎日この時間に帰宅するんですか? 何号室にお住まいなんですか? お仕事はなにされてるんですか?

 口を開けたり閉じたりして何も言わない怪しい俺に遠慮なく怪しむ視線をこちらに送りながら彼女が三階のボタンを押した。三階に住んでいる、という個人情報が書き加えられる。

 動き出すエレベーターのなかで、俺は腕を伸ばして自分の住んでいる十五階のボタンを押した。こんなことならわざわざ家賃も高い所を選ばず、もっと低層階に住めばよかった。


 永遠を思わせる、刹那的な沈黙。唾を飲み込んだ音が意外にも狭い箱の中で響き渡ってしまい、妙に気まずい。

 ああ、彼女がもう降りちゃう。言いたいこと、言わなきゃ。上ってゆく階数のカウントダウンに迫られ、切羽詰まっている。どうしよう、なにを言えばいいんだっけ。ねえ、俺、どうしたの。どうしよう。


『三階でございます』


 機械音声のアナウンスに続いてエレベーターが止まった。彼女は完全に不審者な俺から逃げるよう足早に降りようとする。まって、ずるい、そうやって逃げるから追いたくなってしまう。どうして俺を惹きつけるの?

 そんな揺らぎっぱなしの思考のまま脊髄反射、加減もできない力で華奢な手首を掴んでしまって。


「うち、寄っていきません?」


 うーわ、我ながら気色の悪いことを言ってしまった自覚がある。エレベーターの相席史上、もっとも気味が悪い台詞かもしれない。

 順序もなにもすっ飛ばしている。これは確実にアウト、若い女性がエレベーター不信に陥るような言葉である。

 狭いエレベーター内で同席してしまっただけの相手、それも同じマンションに住んでいる男がいきなり手首を摘んで家に誘ってくるなんて。たとえば妹がこんな災難に遭遇したら俺は即座に引越しさせる。

< 14 / 30 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop