ブルー・ベリー・シガレット
「なんか、手伝えることある?」
煙草の効果なのか、なんなのか。自分の仕事が予想外に早く片付いたので、同僚の女性社員に声をかけてみた。
この行為は純粋な親切心によるものではなかった。なぜなら彼女はここ最近、どうにも仕事が進んでいない。このままだと俺だけでなく社内に迷惑がかかるのは一目瞭然であった。
信じてほしいのだが、俺は基本的に優しいのだ。その優しさを勘違いされることが多いせいで、打算的だと思われたり下心として捉えられたりすることも少なくないのだが、基本的には親切心から手を差し伸べている。
平和主義が根付いているので、本気で目の前にいる人に優しくしてあげたいと思ってしまう。
そう、目の前にいる子。目の前にいるときは優しくしたいし、甘やかしてあげたいし、傷つけたくない。しかし目の前にいないと忘れてしまう。また別の、目の前のことに夢中になってしまうのだ。
だから今は、なんとかその日中に仕事を片付けたお礼として彼女に一軒奢られることにした。
奢らないと気が済まないみたいだったから。正直にいうとさっさと帰りたかったのだけど、共に食事をするよりも誘いを断るカロリーのほうが高そうだった。
しかし半個室みたいに区切られた居酒屋の一室で、俺は早々に後悔し始めていた。
「私、彼氏の浮気を疑ってるんです」
「うわき? どうしたの?」
「怪しいと思って、スマホを見ちゃったんですよ」
たかがハイボール二杯で酔いが回り、半泣きになりながら仕事が進まなかったここ数日の言い訳をしている彼女。
それなりの優良企業に勤めているキャリアウーマンだが、恋愛がうまくいかないと仕事にも影響が出るタイプらしい。まあ、就職活動では恋愛における人格なんて見抜けないもんね。仕方ないわな。
「彼氏が、元カノと連絡取ってて、もうそれが気になって他のことが手につかなくなって、」
「それはつらかったよねえ、出勤するのも偉いよ」
「まだ、その浮気現場は押さえてないんです。でも、だから、別れようって言えなくて、」
うんうん、かわいそうに。ご馳走してもらうのに高い焼酎を注文したらさすがにわるいかな?などと考えながらさも深刻そうな相槌を適当に打ち、俺は彼女の弱った姿を冷静に見下ろしていた。
メンヘラ予備軍だなあ。
それにしても女の子の話って、どうしてこうも要領を得ないのか。
彼氏に振られた、なら理解できる。彼氏の浮気を見つけてしまった、でも理解できる。しかし、浮気を疑ってる最中の気持ちなんか理解できるはずがない。
大丈夫だよ、彼は浮気してないよ。これが正解? でもその言葉では彼女の不安に寄り添うことができていない。だからって、浮気してると断定するのも失礼だろう。
そもそも、男のスマホなんて見るんじゃねえよ。女性の勘は当たるのだから、もし見るのなら腹を括って決定的な証拠を押さえるべきだ。その覚悟がないなら中途半端に手を出すな。
やれやれ。地雷を踏んじゃって、彼氏さんもお気の毒に。
こういう子は四六時中、返信がない男のことが気になってしまう。そのうちどんどん不安定になっていって、いよいよ勝手に男の家で家事をして待つようになったりする。
そこまでいけば、男にとってはもう通い妻でもない。他の女と遊んだ肌着を喜んで洗濯してくれる家政婦さんだ。
それでいて、実はこういう女性ってガードが緩い。行為自体が好きというよりも、相手に口説かれるのが好きなのだ。自分を必要としてもらって、承認欲求を満たしたいのだと思う。
「そっか、それでも彼氏のことすきなの?」
「好きです、絶対に別れてほしくない」
健気なところには好感が持てる。俺はなんだか久々に欲求が湧いてきた。
メンヘラはよくない。面倒だし重たいし疲れる。だけど、自分に依存させる瞬間、落ちてゆく瞬間の女の顔は最高に性感帯を擽ってくるからどうしようもない。
浮気の疑惑を解決するなんて野暮なことはよせ。俺は最も手っ取り早く彼女の気を紛らわせる方法を思いついてしまったので、笑いながら提案した。
「じゃあ、俺と浮気してみる?」
頬にまるく手を添え、産毛をなぞるように耳から首へと滑らせていく。魔法にかけられるみたいに彼女の瞳がうっとりと蕩けていくのを見つめた。
けっきょくのところ、俺は相手を依存させるのを心の底から楽しんでいる。
「黒羽さん、」
こちらに上目遣いする彼女は甘えた声で俺を呼んだ。それに応えるべく、にっこり微笑んで軽く耳に口づけを落とす。