ブルー・ベリー・シガレット
初めてどころか俺にとってはよくあることなので、動じることなくゆったりと歩み寄った。
「大丈夫だから、そんな顔しないで」
俺のスマートフォンを無断で覗き見しようとしていたくせに、まるで被害者かのような表情である。怯えた瞳を震わせるのには思わず笑ってしまった。安心させるように頭を撫でてやる。
「ごめんなさい、あの、」
「ふふ、いいよ」
返してもらったスマートフォンはロック画面のままだった。パスワードは当てられなかったらしい。中を見られてる様子もなさそうだし、俺はそんなすぐに怒ったりしないのに。
でも、この子、こうやって謝っちゃうんだろうな。自分から手を出して、見つかって、謝って。また男のほうが上の立場になっちゃうんだ。
ああ、かわいそうに。さっきまでは彼女の心配性気質による五分五分だと思っていたけど、あなたを見てると完全に黒かも。彼氏、まちがいなく浮気してるよ。
なんて酷なことを考えながらワイシャツに袖を通していると、不安げに瞳に揺らしながらおそるおそる彼女がたずねてきた。
「あの、私たちって、」
「うん?」
「付き合っ、」
「これからも彼氏と仲良くねえ」
言葉を遮って続きを切り落とし、俺は自分勝手に告げた。口調だけはとことん甘い。
「また何かあったら話きくよ、お幸せに」
素肌のままでシーツに包まる彼女を置き去りにして、背を向けた俺はすっかり身支度を整えていた。
それから柔らかく微笑んで、置き土産に彼女の頰を撫でてみたりする。優しい男ほど、信用できないものはない。彼女もいい大人なのだからそろそろ学ぶべきだ。
「黒羽さん、」
「お邪魔しました、戸締まり忘れないでね」
「泊まっていってください」
「ううん、彼氏さんに見られてるから遠慮する」
飾られたツーショット写真を指さしつつ、わらって誘いを断った。写真の中の彼女よりも、目の前にいる彼女の方がおんなの顔をしていたのが可笑しかった。
あー終電、間に合うかな。走らなきゃ。すっかり気分を切り替えて、俺は角砂糖マンションを出た。
不思議と終電には、毎日の通勤電車とは異なる空気が漂っている。どことなく酒気を帯びた臭いがするし、一日分の疲れが充満している。
軽く走ったことでどうにか間に合った地下鉄は、酔っ払いたちの巣窟であった。たまには悪くないだろう。
乗り込んだ車両には大声で歌うおじさんがいた。とんでもない音痴で大迷惑だから、みんなが顔を顰しかめている。だけど選曲のセンスが抜群だったので俺と趣味が合いそうだった。数年前に活動休止した懐かしいバンドの曲なんかを下手くそに歌っており、うれしかった。