ブルー・ベリー・シガレット
駅からマンションまでの道のりはたったの徒歩五分。これが近いことで腹が立ったのは今夜が初めてだ。
すぐ隣にいるシーナちゃんは安心して俺に体重を預けている。俺なんかに気を許すな。いや、俺にだけは気を許せ。理不尽なことを言っている自覚はある。
相当酔っているようなので彼女の記憶には残らなそうだが物理的に急接近しているのは確かなので、しばらくの俺はこの余韻で生きていけそうだ。
毎日通る歩き慣れた道だけど、寝惚けた酔っ払いを支えているので時間がかかる。普段の俺は歩くのが速いから、ふらふらしているお姫さまに歩幅を合わせていると家に着く頃には朝になってしまいそう。朝までかかっても全然いいのに。
「酒飲んでたの?」
「そーです、のんでましたー」
「ふうん? 誰と?」
「ひとり!」
ひとり? 本当に? 酔っ払いの戯言など信用には値しないが、駅のホームで眠っていたのでやはり信じてみてもいいかもしれない。変な男と飲んでいたら、ひとりで電車に乗らないだろうし。いや、でも、うーん。
ようやく見えてきたマンションはいつも通りだったが、どこか現実味を帯びてこない。シーナちゃんに会いたいなーとは願っていたものの、ここまで幸運だと恐ろしくなる。俺、日頃の行いとかよろしくないのに。
そんなことを考えながら、歩く。どうにも俺は頭の中と外とで分離してしまう癖があるようだ。頭のなかでは舞い上がってるくせに、外ではいつも通りの落ち着いた自分を振る舞っていた。
「なに、やけ酒? 失恋?」
「ちがいますう! わたしね、いま二十五なんですけど、親がそろそろ結婚しないのかってうるさくてー」
へえ、二十五歳なんだ。こんなタイミングで年齢まで知れるとは棚からぼたもち。
ひとまず、シーナちゃんはお酒を飲むとプライバシーの扉ががばがばに緩くなることは分かった。こちらからすればラッキーだけど、可愛い女の子なのだから気をつけた方がいい。ほんと、気を付けてよね。
「シーナちゃんは結婚願望ないの?」
「そういうわけじゃないんですけどねー」
「なにか難しい理由があるとか?」
「いや、逆になんもないから困っているんですよ。相手もいないし、探すのも面倒だしーって」
口が軽くなったところを漬け込んで質問を繰り出していく。うっすら残った酔いが意中の人と遭遇した浮かれ気分に拍車をかけるが、我を失うほどではなかった。
「ついたよ、大丈夫そう?」
よく彼女と出会すマンションの入り口。俺のカードキーでオートロックを解除しながら目尻をとろんと溶かしたシーナちゃんに話しかける。
俺の腕にもたれ掛かる姿を見下ろして、このまま彼女家に転がり込むための理想の手順を計算した。ほぼ確実に成功できる気がする。
気がするけど、女の子をわざと酔わせてその家に転がり込むなんて、あまりにも悪い男の常套手段が過ぎるだろう。そんなインスタント行為を致すのに、シーナちゃんはもったいない。
「だいじょうぶ〜」
「三階までは送るよ」
「どうして、わたしの住んでる階しってるんですか」
「全知全能なの」
酔っ払いはまともに相手していられないので、適当にかわしながらマンション内を進んでいく。シーナちゃんは何度も壁にぶつかりそうになったり躓きそうになっていた。
そのたびに怪我を防ぐためついでに合法的なスキンシップをはかるため、ぎゅっと肩を抱き寄せている俺にむかって彼女が言った。
「ふじくん、やさしいんですねえ」
これはなかなか面白いご冗談を。
とはいえ、邪悪な下心を抜きにしたって誰に対しても平等に優しいところは確かにある。よく言われる。しかしこれが褒めるときの文脈のみではないことも理解していた。
実際、俺は優しいのかもしれない。平和主義だし事勿れ主義だし、他人に期待することもない。声を荒げて怒ったことなど一度もないし、激しい口論に発展したこともないと思う。
でも、シーナちゃんに対しては優しくできない気がしていた。優しくありたい、それはそうなんだけど現時点では上手に優しくできてないのだ。