初恋シンドローム
     ◇



 目を覚ますと、部屋中に柔らかい朝の空気が漂っていた。
 昨日よりも春のにおいを強く感じる。

 (かたわ)らのスマホがアラーム音を響かせていることに気づいたのは、ベッドの上で身体を起こしてからのことだった。

 まどろんでそれを止めるとあくびする。
 視界に光の粒が散った。

(また、あの夢をみてた……)

 少しも色()せない、幼い頃の儚くて幸せな思い出。
 春になるといつも夢にみる。

 “大人になったら結婚しよう”。

 ────そんな約束を交わしてから、もう10年近くが経った。

 彼と会えない日々は(つの)る一方なのに、わたしは未だに忘れられないでいる。

『ぜったい迎えにいくから』

 その言葉を信じて、再会を願って、待ち続けている。



     ◇



「行ってきまーす」

 とん、とローファーのつま先を打ちつける。
 玄関のドアを開けて庭の小道を歩き出したとき、門の向こう側に人影が見えた。

 鼻先をくすぐるような花香(はなか)をかき分け、首を傾げながら歩を速める。

 門を開けると、その音に気がついたらしい彼がこちらを振り向いた。

「……おはよ」

「おはよう……って」

 反射的に挨拶を返してから、遅れて驚きに包まれる。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「どうしたの? 悠真(ゆうま)

 門前に立っていた幼なじみの彼は、答える前に鞄を肩にかけ直す。

 いつもながら表情が薄くて眉ひとつ動かない。
 けれど冷たい雰囲気はない、というのが彼だった。

「別に、一緒に学校行きたいなと思っただけ。……やだ?」

「や、嫌とかそういうことじゃないけど」

「じゃあ、よかった」

 言葉通りどこか安心したように、その口元がわずかに和らいだ。

 無口でマイペースなところもいつもと変わらない。
 だけど、今日は何となく素直な気がする。

 隣に並んで歩き出すと、思わず彼の整った横顔を見上げた。

(急にどうしたんだろう?)

 幼なじみという仲もあって、普段からよく話はしていた。
 だけど、こんなふうに迎えにきてくれるなんて初めてのことだ。
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