君しか考えられない――御曹司は熱望した政略妻に最愛を貫く
「あっ、ちょっと」

 私がネロをかまうのに嫉妬したのか、膝に抱いていたあずきが自分の方も見てというように前足を浮かせてせがんでくる。私の顔に向けて、彼女の前足が宙を掻いた。

「ごめんね、あずき。こら、やめてよ」

 飛びつきながら私の頬を舐め、必死にかまってとアピールする。その様子を、三崎さんはくすくすと笑って見ていた。

 でも次の瞬間、あずきを避けようとした私の手が前髪を掠めてひらりと揺れた。
 あずきの激しいアピールは一向に止まらず、さらに眼鏡もずれてしまう。そのせいで、隠していたこめかみの傷があらわになっていた。

「え?」

 こちらを見ながら困惑の声をあげたのは三崎さんだ。
 ハッと我に返り、左のこめかみを押さえながら恐る恐る隣をうかがう。

 私の左側にいた彼には、間違いなく傷跡が見えていたはず。
 いつもは和らかい笑みを浮かべている三崎さんの表情が、今は引きつったまま凍りついていた。
 慌てて眼鏡を戻し、髪を抑えつける。

『気持ち悪いから近寄らないでよ』
『亜子ったら傷物になっちゃった』

 彼の表情を目にした途端に、この傷を負った当初に史佳から投げつけられた言葉の数々がよみがえってくる。辛い記憶に、吐き気まで込み上げてきた。

 いろいろと耐えきれなくて、足もとに置いたキャリーバッグを持つと、あずきを素手で抱えたままとっさに病院を飛び出した。
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