人魚の鼓動はあなたに捧ぐ
「い、いえ、ごめんなさい……!」
なんだかいたたまれなくなって、わたしは早足でその場を去った。
もしかしたら、あれは血液なんかじゃなくて、おじいさんはたとえば掃除をしていただけかもしれない。
血液だとしたら、きっと家畜のものかも。
……うん、きっとそう。
わたしは受け入れきれない現実を、なんとか自分の頭に落とし込んだ。
──その矢先。
近くの藪の方からガサリと音が聞こえ、目をやる。
そこには、植物をかき分けて、今にも藪の中に入ろうとする少年の姿があった。
その顔を見て、わたしは思わず息をのんだ。
わたしの少ない記憶が確かなら、あの少年は、昨晩死んでいたはずだ。
「あの──」
「あら、お客さんかな? 珍しいねぇ」
勇気を振り絞ったわたしの声は、後ろから重ねられた挨拶によりかき消された。
どうしようかと悩んだ一瞬の間に、少年は藪の中へと消えてしまった。
肩を落としながら、声をかけてくれた人の方を見る。
それから、わたしは再び、ぎょっとした。
……先ほどのおじいさんと同じだ。
そこに立つ中年の女の人は、赤黒いなにかが飛び散ったような服を着ている。
おかしいことなど何もないかのように、至極当然であるかのように、ただ善意によって挨拶をしただけだというふうに、微笑んでそこに立っている。
見れば見るほど、血だとしか思えない。
「こんな何もない島に来てくれてうれしいよ」
晴れ空、海風、穏やかな笑み。
そんな景色の中の、血まみれとしか思えない服だけが、わたしの中に違和感を生み出している。