シャンパンをかけられたら、御曹司の溺愛がはじまりました
 ぼんやりとその動作を見ながらも、一花の思考は颯斗のことに向かう。

(颯斗さん、いつからあそこにいるの?)

 座り込んでいたということは長時間待っているのかもしれないと思い、そうさせてしまった自分に罪悪感を覚えた。
 きっと連絡しても一花が返事をしないから押しかけてきたのだろう。
 でも、『そんなの頼んでないし!』と思い直す。
 
「お茶が入りましたよ。よかったら、チョコでも食べませんか?」

 小木野の声でもの思いから覚めた一花は、テーブルの上に置かれたチョコレートを見て頬をゆるめた。
 白い皿に載せられたチョコレートは高級ブランドのもので、落ち込んだ一花をなぐさめるには甘いものを与えておけばいいと師匠が思っているのが見てとれた。
 横に腰かけた小木野に一花は笑いかける。

「師匠は私を餌付けするおつもりですか?」
「これで餌付けできるなら安いもんですね。毎日でも用意しますよ」
「毎日なんて、太っちゃいます」
「大丈夫ですよ。心配になるほど痩せてるじゃないですか」

 小木野の言葉に、颯斗にも同じようなことを言われたとやるせない気分になる。
 そして、なにをしてもなにを聞いても颯斗に結びつけてしまう自分に嫌気がさした。
 急に顔を曇らせた一花を見て、小木野は察したようで、表情を引き締めて言う。

「……さっきの彼ですが、あまりにしつこいようなら警察に行っても――」
「違うんです! たぶんすぐに落ち着くはずです」
 
 颯斗がストーカーと勘違いされていると思って、一花は慌てて否定した。
 今は突然拒否されたのが腑に落ちなくて一花と話したいと思っているかもしれないが、こうやって、顔を合わせないままでいたら、遠からず颯斗は見切りをつけるだろう。
 彼も忙しい人だし、結婚を控えているのだ。いつまでも一花のことを気にしているはずがない。
 そう考えると胸がじくじくと痛んだ。

「そうですか? でも、彼は立石さんが帰るまで待っていそうですが」
「……」

 意志の強そうな颯斗ならありうると一花は困った。かといって、いつまでも師匠の家にいるわけにもいかない。
 すると、小木野はパッと表情を変えて、明るい声で提案してきた。

「それだったら、次のイベントの装花案を練るのに付き合ってもらえませんか? 報酬は私の手料理です。送っていくので、遅めに帰ったら彼もいないでしょう」
「それはありがたいですが、本当に甘えちゃっていいんですか?」
「もちろん。今度、画廊のレセプションに出す装花のデザインに迷っていたので、あなたの意見をもらえると助かります」
「それなら、喜んで!」

 本当は師匠が迷うことなどないだろうと思ったが、せっかく彼が気を遣って素敵な時間潰しを提供してくれたので、一花は勢いよくうなずいた。
 相変わらず優しい師匠に感謝のまなざしを向けて。
 小木野はテーブルの上を片づけ、デザイン画を並べる。

「現代アートの個展なのですが、こういう絵に合う装花ってどんなのだろうと考えていたら迷宮入りしてしまって……」

 そう言いながら、彼は絵画の写真を見せてくれた。
 そこには刷毛で塗ったような青の上に金色の十字が描いてあったり、真っ赤に塗られたキャンバスの真ん中に白い丸があったりと原色が踊っていた。

(この間、こんな絵を――ううん、それよりこの絵と合いそうな花は……)
 
 同じような抽象画を颯斗と見たことを思い出しかけて、一花は強引に思考を逸らした。

「強い印象の絵だから、お花も大ぶりのものがよさそうですね」
「そうなんです。私もそう思って、最初にこちらのデザインを描いたのですが、絵が主役なのにそれと張り合うのはどうかと思い始めたんです。それでこっちのデザインを描いたものの、今度は物足りない気がして……」
「なるほど、そう言われてみるともう少しひかえめでもいいのかも。でも、そうすると装花のバランスが……。確かにこれは迷宮入りしますね」
「そうでしょう?」

 一花が絵とデザイン案を見比べて悩み始めると、わかってもらえたと小木野はうれしそうな顔をする。
 それからあれこれ意見を交わしたり、デザイン画を描いたりしていたら、二人は夢中になってあっという間に夜になってしまった。
 彼のもとで働いていたときもよくこんなことがあった。それを思い出して、一花は楽しい気分になる。
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