桜花彩麗伝

 場はいっそうざわめきに満ちた。
 険相(けんそう)ながら容燕は固く口を閉ざしている。さすがに二度目はなく、庇いきれずにとうに観念していた。

 たたらを踏んだ帆珠は膝から崩れ落ち、愕然(がくぜん)項垂(うなだ)れる。
 どうにか黙って見ていた航季は、しかしついに耐えきれなくなり、一歩踏み出した。

「陛下! 罰ならわたしにお与えください!」

「なに……?」

「妹に全責任があるわけじゃない。子の実の父親を殺したのも、鳳貴妃に使った薬を用意したのも俺だ。妹はただ従っただけ……!」

 いつになく必死の形相(ぎょうそう)で懸命に訴えかける姿を見て、図らずも帆珠の目から一筋の涙がこぼれた。
 音にならない掠れた声で「兄上……」と呟くと、慌てたような兵に取り押さえられる彼と、そんな彼を激怒して咎める父が滲んだ視界に映る。

「……っ」

 不意に下腹部に走った激痛に顔を歪めた帆珠は、腹部をおさえたまま(もだ)えた。
 血の気が引き、冷や汗が滲む。
 視線を落とすと、石畳の地面に血が広がっていく様が見えた。
 周囲の音が水中で溺れたときのようにくぐもったかと思えば、徐々に意識が遠のいていった。



 目を覚ましたとき、帆珠は見慣れた玉漣殿の寝台(しんだい)の上にいた。
 禁足(きんそく)されていた頃と同じく部屋を囲むように錦衣衛の兵が配されており、とても落ち着く状況ではない。
 しかし、一度気を失って眠ったためか、腹部の痛みはなくなっていた。
 熱っぽい倦怠感(けんたいかん)があるような気がするが、耐えられないほどではない。

「お嬢さま……」

 すぐ(かたわ)らで千洛が泣いていた。零落(れいらく)を嘆いているのかとも思ったが、何やら様子がおかしい。
 声をかけようと起き上がったとき、視界の端で何かが動いた。

 殿の中央に、王がいた。
 尋問場で顔を合わせたときよりもものものしい雰囲気は解けているが、厳然(げんぜん)たる表情を崩さない。

「兄、は……?」

「あの自白を受け、錦衣衛へ連行したのちに投獄した」

 不安気に尋ねた帆珠に答える。処遇については一時的に保留とし、拘留(こうりゅう)するに留まっていた。
 ────彼はややあって静かに口を開く。

「……そなたの子は、流れたそうだ」

 その言葉をどう受け止めるべきか、帆珠には分からなかった。
 望まぬ子であると(うと)んじ、一時は自ら流産してしまおうとさえ画策(かくさく)したというのに、いざそうなったと思うとえも言われぬ虚しさに襲われる。
 腹部に手を添えると、喪失感と同時に涙が込み上げた。

「主上はわざわざそれを伝えにここへ……?」

「……最後ばかりは、見届けるべきだと思った」

 その言葉を受け、帆珠は彼のそばにある円卓に目を移した。
 卓上に置かれた器を、暗く沈んだような色の湯薬(とうやく)が満たしている。毒薬であろう。
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