桜花彩麗伝



 王は色のない顔で玉漣殿をあとにすると、そこに佇んでいる人影を認めた。
 ずっと表で待っていた春蘭は、悄然(しょうぜん)たる煌凌を見やる。彼は歩み寄ってくると、身を預けるようにして肩に顔を(うず)めた。

「あの者は、先ほど息を引き取った」

「……ええ」

「己の所業は罪ではないと。悔いてなどいないと、言っていた」

 掠れた声で紡がれる言葉を受け止める。

「これでよかったのか……。余は、間違っておらぬか?」

 私情を挟むことなく起きた出来事のみを(かんが)みれば、善悪の判断に迷うことはないであろう。
 ただ、目の当たりにした彼女の信念や死そのものに圧倒され、我を見失っているように見えた。

「……大丈夫。大丈夫よ。あなたは王としても人としても、正しい判断をしてくれた」

 温度をなくした冷たい両手を取り、優しく握りながら告げる。
 不安定に揺れていた煌凌の双眸(そうぼう)が春蘭に定まった。

「哀れむ必要も許す必要もないの。今日のことは、大望(たいぼう)を果たすための第一歩になるわ」

 すなわち、蕭家を打ち倒すという大義へと近づいた。
 ────同情も赦免(しゃめん)も求めていない。そう言った帆珠の言葉と重なったが、込められた意味や響きを(こと)にしていた。
 自ずと煌凌の胸を締めつけていた罪悪感がほどけ、視界を覆う霧が晴れていく。
 ()てついていた手に温もりが染みた。



     ◇



 玉漣殿に仕えていた者は残らず宮殿からの追放(ついほう)を命じられ、入内(じゅだい)前より帆珠の侍女であった千洛は流刑(るけい)となり、僻地(へきち)で下女となった。
 ひときわ重い罰ではあるが、一進一退のすべてが主に懸かっているというのが後宮の(ことわり)である。

 また、淵秀の証言をもとに文禪も罪に問われた。
 事もあろうに王に薬を盛ったということで一時的に投獄されていたが、罷免(ひめん)ののち謹慎(きんしん)処分という運びとなった。
 用いたのが単なる睡眠薬であったために死罪を免れたのであった。

「────陛下、白官吏がお見えです」

 取り次ぎを経て蒼龍殿へ参殿(さんでん)した淵秀は、几案(きあん)の手前で丁寧に礼を尽くす。
 煌凌はその一挙一動(いっきょいちどう)を見守り、表情を和らげた。

「よくぞ参った。こたびの一件は誠に大義であったな。そなたの働きに救われた」

滅相(めっそう)もありません。主上と貴妃さまが僕の話を信じてくださったお陰です」

 控えめに謙遜(けんそん)し、いっそう礼を深める。
 己の役割を果たしたに過ぎず、当然のことをしたまでだ。特別褒められることでもなく、誇るべきことでもない。

 柔らかな物腰と秀麗な風貌(ふうぼう)の青年を王は眺めた。
 貪汚(たんお)狡知(こうち)な父親の影に隠れてしまっていたが、こたびのことで頭角(とうかく)を現し、その存在感を知らしめた。
 それも、彼とは正反対な清廉(せいれん)さと摯実(しじつ)さを示し、道義を重んじる形で。
 能吏(のうり)となりうる逸材を、みすみす埋もれさせるわけにはいかない。
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