桜花彩麗伝

「────そなたが不都合でなければ、戸部侍郎(じろう)の座に推挙(すいきょ)しようと思うのだがどうだ?」

 侍郎は六部の次官にあたる地位である。
 思わぬ言葉に淵秀は顔を上げた。驚いたように見張った瞳を彷徨わせる。
 そんなつもりはなかった、と分かりやすく顔に出ていた。父親を売って出世の踏み台にしようなどという下心はなかったのに、と。
 そんなところにも王はますます好感を抱いた。

 ややあって淵秀は心を決めたのか、正式な跪拝(きはい)の姿勢をとる。

恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます」

 躊躇はやはり王の見立て通りのところから来ていたようであったが、彼の声色に不承不承(ふしょうぶしょう)な気配はなかった。
 決然と受け止めたようである。王は満足気に頷いた。

 かくして、前任の戸部侍郎は罷免(ひめん)された文禪の後釜(あとがま)として尚書に位上げし、淵秀は侍郎の座へ就く運びとなった。



     ◇



 宮中を散策しながら、淵秀は蒼龍殿での始終を春蘭に伝えた。
 科挙の結果を報告に参った折と同様、春蘭は淵秀の昇進に祝意(しゅくい)(ひょう)してくれる。
 一拍置くと、春蘭が不安気な表情で口を開く。

「今回のこと、公子(こうし)さまには改めて感謝しかありません。けれど、その後は大丈夫でしたか……?」

 文禪の性分(しょうぶん)を思えば、彼を裏切った形となる淵秀のことを簡単に寛容するとは思えない。
 ひどい目に遭ったのではないかとずっと案じていた。

「確かに……父には激怒されましたが、僕が白家の唯一の跡取りということもあって、勘当(かんどう)まではできないでいるみたいです。いまは、再起(さいき)を図るべく色々と考えているようで」

 我が父ながらさすがと言うべきか、転んでもただでは起きない。
 こたびのことで蕭家との繋がりが弱まっただけに、自身で策を模索しているようであったが、状況を(かんが)みるに名声を取り戻すには長くかかるであろう。

 苦く笑った淵秀をじっと見上げると、口の端に怪我をしていることに気がついた。
 思わず手を伸ばす。傷に触れないようにしながら、労わるように顎に添えた。

「え」

「痛みはありませんか……?」

 泣きそうな表情で案じられ、淵秀は目を見張る。
 なるべく傷を見られたくなくて、茶を飲み交わすのではなく散策に誘ったのに、つい気が緩んでしまったようだ。
 動揺を隠しきれず視線を彷徨わせたが、やがて観念したように再び苦笑する。

「……ばれてしまいましたか」
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