桜花彩麗伝

 清々しいほどの笑みはいっそ痛切で、春蘭は言葉に詰まってしまう。
 そのうちに彼は緩やかな微笑に戻ると、こともなげに言った。

「姫さまが気遣ってくださったお陰で平気になりました。どうかご心配なく」

 そう言われても素直に頷けないが、案ずるなと言われれば、春蘭にできるのはその言葉を信じること以外になかった。
 こちらの方がむしろ彼に救われてばかりのように思えるが、屈託(くったく)のない純粋な態度は不思議と負い目を感じさせない。そのことにまた救われていた。

「父が恐ろしければ、官吏の道に進んでなどいません。どんな目に遭おうと、僕は後悔しない選択をする。義よりも家門や地位を優先させることはありません」

「公子さま……」

「本当ですよ? 姫さまに誓って」

 茶目っ気に満ちた笑顔で言うと、春蘭も気を緩めたように表情を和らげた。
 再び歩き出してから、淵秀は思わず自身の顎に触れる。先ほど一瞬だけ感じた温もりを探すように。
 隣を歩く春蘭を一瞥(いちべつ)し、ひっそりとはにかんだ。



     ◇



 容燕は執務室で酒を(あお)っていた。
 流しきれなかった激情に震え、その酒杯(しゅはい)を握り潰すようにして砕くと床に叩きつける。

「愚かな……」

 無断で計画を断行し、結果として仕損じたせいで自縄自縛(じじょうじばく)に陥った帆珠と航季に思いを馳せる。
 嫉妬を()やし、私情に囚われ暴走した忍耐力のない娘はもとより、そんな妹を庇って自ら罪を露見(ろけん)させた挙句に牢へ収監(しゅうかん)された息子も、とんと呆れ返るほど愚かとしか言いようがない。
 すこぶる不興となった容燕は嘆き、すっかり酒浸りとなっていた。

「────それほど飲まれてはお身体を壊してしまいますよ」

 不意に聞こえてきた声に顔をもたげると、卓子(たくし)につく人の姿があった。
 幼い子の姿であるが、言動は大人びている。その英明(えいめい)な眼差しは、容燕が密かに何年も焦がれていたものであった。

「碧依、なのか……?」

「はい、父上」

 果たして彼が首肯(しゅこう)すると、容燕は双眸(そうぼう)を閃かせる。
 まだ、希望は(つい)えていなかった。もともと容燕にとっては、この優秀な長男のほかに信頼に値するものなどなかった。

「そなたはどう思う。あの生意気な小僧と小娘をどうしてくれよう……」

 その脳裏(のうり)に王と貴妃が浮かぶ。
 かくも現状を撹乱(かくらん)し、あらゆる思惑の邪魔立てをして寄越したのは彼らが初めてだ。恐れ多くも本気で自分に刃向かうとは。

「ひとまず、酒気(しゅき)を抜いて冷静に策を()られてはいかがですか? 心配せずともわたしと会うことは難しくありませんし、風に当たられてきてはどうでしょう」

「……そうだな。そなたの言う通り、頭を冷やすとしよう」
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