桜花彩麗伝
部屋をあとに庭院へ出た朔弦は、固く口を結んで瞑目する。
それから、困苦の息をつき夜空を仰いだ。
「…………」
もはや言葉の通ずる段階ではない。
あのとき、最初に衝突した折にその意を覆せなかった時点で手遅れであった。
謀反を企てる叔父に加担し、最後までその“影”に徹することで一蓮托生の命運に従うか。
己の信念に基づき、叔父を裏切ってでも正義を貫くことで王を守るか。
道は、ふたつにひとつである。
いずれもかけがえのないものを失うであろう、究極の岐路に立たされた。
朔弦の中で結論は変わらない。
しかし、割り切れないのは情が絡みつくせいであった。
────悠景は叔父であると同時に、早くに両親を亡くした自分の父親代わりとなってくれたひとである。
単に後見となってくれただけでなく、あらゆる武術を自ら指南し、謝家の次期当主たるに相応しい教育を惜しまず施した。
幼ながらに心を閉ざしていた朔弦が、その瞳に唯一映したのが悠景であった。
四年前の国試で稀代の秀才として世を沸かせた朔弦が文武に卓越し、その齢ではありえないほどの躍進を見せているのは、朔弦自身の才気のみならず、実のところ悠景の存在が大きい。
いまがあるのは、間違いなく彼のお陰なのである。
力強く豪快ながら、明朗で人懐こい叔父が好きだった。自身とはちがう勇猛果敢な性分を尊敬していた。
こたび意を異に反目しようと、育ててくれた恩と幼い頃の記憶が消えるわけではない。
彼の判断が間違っていると悟りながら、危険な思想を危ぶみながら、見限ることができないのは当然と言えた。
「………………」
平生であれば果断に富み、公私を混じえない怜悧冷徹な才人が、しかし強いられた二者択一から答えを導き出すことに窮していた。
不安定な強張った表情で視線を彷徨わせる。
『民心は惑わされやすく、移ろいやすいもの……。おまえなら分かってくれるだろ? 協力してくれるよな』
朔弦が信用を寄せる分だけ、悠景もまた心からの信頼を置いてくれている。
ほかでもない朔弦であったからこそ、一世一代の大勝負を正直に口にした。危険を承知で本心を明かし、手を貸して欲しいと願った。
その本意までもを見通せてしまっただけに、朔弦は底の見えない葛藤から抜け出せないでいた。
懊悩に囚われたまま、いっそう夜が深まっていく────。